【デジタルシャーマン武者修行記】 #1 市原えつこがテクノロジーで挑む「死と弔い」

2016.01.28 10:00

喘ぐ大根こと"セクハラ・インターフェース"や"ペッパイちゃん"など、「日本の性とテクノロジー」という独自の世界観から作品を生み出してきたクリエイター・市原えつこが今挑んでいるテーマが「死と弔い」だ。文化庁の育成事業に採択された「デジタルシャーマン・プロジェクト」では人工知能、アンドロイド、3Dプリントなど"既存の世界観を刷新するテクノロジー"に手がかりを求めながら、プロジェクトを進めている。連載「デジタルシャーマン武者修行記」では取材や制作レポートを通じて、"新しい死や生命、弔いの形"に市原えつこが迫っていく。

私の身体の痕跡を憑依させたPepper、そして拝む開発チーム(撮影:黒羽政士)

市原えつこです。私はこれまで、ナマの大根がひたすら喘ぎはてるデバイス「セクハラ・インターフェース」や虚構の美女と五感を通じて触れ合えるシステム「妄想と現実を代替するシステムSRxSI」、乳首搭載型ロボット「ペッパイちゃん」など、どちらかといえば面白おかしい作品を制作していたにも関わらず、2015年半ばから、何を血迷ったか「死や弔い」というディープなテーマに分け入ってしまった。
昨年は、「なぜ、世の中は楽しいことが溢れているのに、私は延々と死について考えているんだ......」と我ながら疑問の浮かぶ日々だったが(心配のないように言っておくと、決して死にたいわけではない)それらの考察は、人間の存在について、生命について、テクノロジーの持つ潜在的な可能性について、様々な発見を与えてくれた。

■死とテクノロジーに興味を抱いたきっかけ

そもそもこのテーマに関心を持ったきっかけは、大好きだった祖母の死と、初めて体験した身内の葬儀の一部始終だった。
穏やかな面持ちの祖母が火葬され、骨になるところを見届けたときに、祖母の不在をスッと受け入れることができた。
仏教葬儀は遺族の心を整理してくれる、優しい設計だと感じた。
近親者の死に遭遇して、混乱した感情を、"弔い"という行為が自然におさめてくれた。

その三ヶ月後、実家付近にあった縄文・弥生時代の文化博物館を母と訪れた時に 弔いは人類の初期から続いていた営みだと知る。 「衣食住」は生活に密接に結びつきながら現代社会の中で商業化、高度化してきたが 現代の弔いの形とはなんなのだろう?人類にとって、死者を弔うことはどんな意味を持つのだろう?と探求心が湧いた。

■「ロボットへ死者は人格憑依するのではないか」というひらめき

当時、私はSiriのような音声エージェントやPepperの案件など、人工知能と近接する領域に仕事で携わっていた。
Pepperアプリの仕様設計中、ロボットにアプリケーションを通じて何らかの人格が宿ることを、「憑依だ!」と直感的に思った。

祖母の死や葬儀で感じたことと、ロボットへの憑依のイメージがリンクしたのは五月に、イラストレーターのたかくらかずきさんと与太話をしていた時だ。
「死者のソーシャルアカウントを人工知能化してロボットにインポートすれば、何か"擬似生命"のようなものが生まれるじゃないか」という話題になった。たかくらさんは「範宙遊泳」の人工知能をテーマをした演劇「われらの血がしょうたい」の美術監督をつとめており、その辺りのテーマに勘所があったのだと思う。

デジタルシャーマンプロジェクトの現状プロトタイプでは、Pepperにデスマスク(正確にはライフマスクだが)を被せる(撮影:黒羽政士)

私はそれまで老いや死が怖かった。
元気で優しかった祖母が、だんだんボケてもとの人格や能力を失っていくのが。死に近づいていくのが。
自分が成人し、大人になるのに伴い、自分の両親もまたそこに近づいていくという事実が。
しかし生き物である以上、死や老いは避けられないことだ。その現実から目をそらして、見て見ぬ振りをしても仕方がない。 私は腰をすえて、このテーマに向き合ってみることを決め、これらの着想を文化庁に「デジタルシャーマン・プロジェクト」として申請した。
いつかまたやってくるであろう大切な誰かの死に、自分なりのやり方で備えることにしたのだ。

家庭用ロボットは今後、少しずつ一般家庭に普及していくだろう。
SoftBankのPepperもまだ一部の企業やデベロッパーが所持しているが、普通の家庭で購入するケースも増えていると聞く。 そういった家庭で死者が出た場合、「新しい弔いのありかたが可能になるのでは」という見立てがあった。

■SFで繰り返し描かれる「人工知能による死者復活、永遠の命」のイメージ

奇跡的に採択された文化庁のメディア芸術クリエイター育成事業の初回面談を終え、アドバイザーの伊藤ガビン氏と畠中実氏に「映画『チャッピー』みたいなアイデアだね」と言われたのをきっかけに、「SFにもしかしてヒントがあるのでは?」という勘所が働き、色んなSF映画を参照してみることにした。
すると、出るわ出るわ。『her』(2013)、『トランセンデンス』(2014)、『チャッピー』(2015)、『エクス・マキナ』(2015)etc...とここ数年だけでもかなりの数に上る。
SFは、テクノロジーによる死者再現のイメージソースの宝庫だった。
極めて個人的な動機や探究心から始めたプロジェクトだったが、「テクノロジーによる不死」は、もしかして人類が繰り返し描いてきた、普遍的な欲望なのかもしれないと気付いた。

■「その人らしさ」の再現とは?言語だけでは片手落ち

その人のSNSでの発話内容からその人っぽさを取り出すには?という命題について「人工知能コン」を手がけているChotchy CEOの海鋒健太氏も相談に乗ってくださった。
「LINEの発話ログは生前の何気ない会話に近いのでは?発話データを形態素解析し、その人らしい発話の学習をできるかも」という助言もいただいた。

しばらくは言葉のメッセージでその人っぽさを表現する方向性で進行していたが、いつもお世話になっている女性デベロッパーさんと実際にプロトタイプを開発して、さっそく「これじゃない」感にぶつかった。

Pepperの開発ツール、Choregraph。ロボットのモーションを精細に作り込める(撮影:黒羽政士)

あんまりそれっぽく、ない・・・
あと、これだとわざわざ身体を持っているロボットでやる必要ない・・・スマホでいいじゃん・・・
いや、もっと言うと、遺書でもいいじゃん・・・

そう、遺書などの伝統的な手段もそれなりに強度はあったのだ。
遺書においては「筆跡」という痕跡こそが、メッセージ以上の意味を持っているように感じた。 その人の筆圧、文字の滲み、書き方のクセ。そういうった身体の痕跡こそが重要なのではないか?

ロボットという身体を持つ媒体を使うからこそ残せるものは、「言語」「メッセージ」「意味」ではないんじゃないか?
人工知能で生命を残すというと、現在は言語による会話のイメージが強いが、むしろその人の身体的な痕跡やしぐさ、気配、というノンバーバルな領域の方がより強くその人の特徴を表しているのでは?という考えに思い至った。
人型アンドロイド、音声合成、3Dプリントなど、様々な手段を検討して、故人の顔、声、しぐさなどの「身体的な」痕跡や「気配」を残す手段を私は探しはじめた。

■「ここにいない誰か」を再現する手段としてのテクノロジー

現在、作品制作は女性メインのチームで行っている(意識してはいなかったが、結果的にそうなった。女性の方が、シャーマニックなテーマが通じやすい気がしたのかもしれない)(撮影:黒羽政士)

そもそも、いろんなテクノロジーは潜在的に「いま、ここにいない誰か」を再現する側面を持っている。 写真技術も、映像も、電話も、3Dスキャン&3Dプリントも、人工知能も、アンドロイドやロボティクスも、ホログラムも、VRやSR(代替現実)もそうだ。 これらはすべて、いま私たちの目の前にいない、しかし会いたい誰かと再会するための手段になりうる。

こういったことに取り組んでいる仲間はきっと世界中にいるはずだ。以前SENSORSで記事になっていた不死のSNS「ETER9」もそうだし、故人のDNAを木に埋め込んで「生きた墓標」にする試みを行っている、この分野の偉大な先駆者であるBCL・福原志保さんもそうだ。
前置きが長くなったが、この連載では、「新しい死や生命、弔いのかたち」「既存の死生観を刷新するテクノロジー」に焦点を当てながら、様々な取材や制作レポート、随筆などをしていければと思っている。

文:市原えつこ

1988年、愛知県生まれ。早稲田大学文化構想学部表象メディア論系卒業。学生時代より、日本特有のカルチャーとテクノロジーを掛け合わせたデバイス、インスタレーション、パフォーマンス作品の制作を行う。主な作品に、大根が艶かしく喘ぐデバイス《セクハラインターフェース》、虚構の美女と触れ合えるシステム《妄想と現実を代替するシステムSRxSI》、脳波で祈祷できる神社《@micoWall》等がある。2014年《妄想と現実を代替するシステムSRxSI》で文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門審査委員会推薦作品に選出。

編集:長谷川リョー

SENSORS Senior Editor
1990年生まれ。『SENSORS』や『WIRED.jp』などで編集者/ライター。これまで『週刊プレイボーイ』『GQ JAPAN』WEBなどで執筆。東京大学大学院学際情報学府にてメディア論を研究。最近は「人工知能」にアンテナを張っています。将来の夢は馬主になることです。
Twitter:@_ryh

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