"タグ"を定義するのは無意味?主体が複数化したダイナミックな現代社会における、ファンコミュニティのあり方

2018.07.17 18:00

「クリエイターとコミュニティ」をテーマに行われたSENSORSサロン。ゲストは作家の平野啓一郎氏だ。

全5回にわたってお届けする第3弾記事では、日本の未来にむけて再定義すべきもの、そしてクリエイターのファンとの向き合い方について議論してもらう。シンプルでスタティックだった社会が、流動的でダイナミックに変わりつつある今、「この人は結局何者なのか」を定義することは難しい。むしろ自分という主体が複数存在し得ることを認め、言語による一意的な定義をしないことが必要だ。

後半では、インターネットやSNSが発達した現代における、クリエイターとファンとの関わり方について議論する。平野氏は、現代においてクリエイターとファンとの距離が近づいているのは、19世紀的なサロン文化の復権だと考察している。適度な距離感で知的刺激を受けられるような、ファンコミュニティのあり方についても深掘りしていく。

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(左より)平野啓一郎氏、齋藤精一、落合陽一

現代は"流動的でダイナミック"な世界。"タグ"に翻弄されないリテラシーを身につけよ

--続いてのキーワードは、「日本の未来に向けて、何を再定義すべきか」。平野さんは、『私とは何か』『自由のこれから』などのご著書で、個人や自由の概念をアップデートするという趣旨のことを書かれています。今の社会において何を再定義すべきだと思いますか?

平野啓一郎(以下、平野):
「自分」という主体を複数化して、アイデンティティを再定義すべきです。

現代は、未来予測が困難なことに対する不安を抱えている人が多いと思います。だからこそ、一つのことに自分の人生をかける"ハイリスク・ハイリターン"な生き方はおすすめしません。幅広い活動に手を出して人生を複数のプロジェクト化し、リスクヘッジすることで、さらに活動的になれると思います。
落合陽一(以下、落合):
言語で"結局"を定義しないと気が済まないような人たちにとっては、生きづらい世の中になってきていますよね。僕が"結局"アーティストか研究者かなんて定義できないのに、一単語でタグ付けしたがる人は多いです。昔と比べて複雑性が高まっている今の世の中においては、最初から一意的に定義しない方が適切なんじゃないかと思います。
平野:
スタティックに構造化されている世界から、個々人が色々なことをしている"流動的でダイナミック"な世界へと転換しているんですよね。

だからこそ、格差が拡大する面もあるとは思います。キャリアを豊かにする目的で主体的に副業に取り組む人と、生活のために迫られて副業せざるを得ない人の間に生まれる格差問題には、これから取り組んでいく必要があるでしょう。
齋藤精一(以下、齋藤):
IoTが普及する"アフターインターネット"の世界で、非言語化が進展するのかと思いきや、逆に言語の存在感が強まっていますよね。落合さんが仰ってた"結局"の話もそうですし、現代人の情報交換はSNSやWebメディアといった言語化されたメディアが大半になっています。

その結果、言語に翻弄されている人が多い印象を受けます。具体的な言語を追いかけて揚げ足取りばかりしているうちに、抽象的な思考ができなくなってしまっている。だからこそ、言語をどう解釈して行動に起こすのかという観点で、個人の思考や社会のシステムを再定義する必要があると思います。
平野:
言語を扱うリテラシーの格差は顕著になっていますよね。また、リテラシーを磨くと同時に、できるだけ良質な情報に触れられるようにコントロールする必要もあると思います。
草野絵美(以下、草野):
平野さんはSNSで積極的に情報発信をされていますが、どんなスタンスで情報発信をされているのですか?
平野:
個性的で興味深い内容をツイートしている人を何人かフォローしておいて、それをリツイートして広める点は意識していますね。効率良く情報発信していけるので。

オンラインサロンの台頭にみる、19世紀的なコミュニティの在り方

--ここで話題を変えて、「コミュニティ」についての話に移りたいと思います。最初のキーワードは「ファンとの向き合い方」。平野さんは、ファンの方とのSNSなどでの交流について、どう捉えていらっしゃいますか?

平野:
ファンの方との向き合い方は、デビューして20年間で非常に変わりましたね。98年のデビュー当時はインターネットも普及しておらず、読者の方と距離がありましたし、それでいいと思っていました。小説家はただ小説を書いていれば良いのだと。

それに比べ、今はネットで読者の方と交流したり読書イベントが開かれたりと、かなり距離が近くなりました。19世紀前半まであったサロン文化が、インターネットやSNSの発展によって復活しているようにもみえます。19世紀前半ぐらいまでの小説家は、社交会に行って自分の小説や詩を朗読したり、新聞連載をみんなで読んだりしていたと聞きました。

そういった文化がマスメディアの発展によって廃れ、作家と読者の距離がかなり離れたのですが、インターネットの発展に伴いその距離感がかつてのサロンの頃の状態に戻りつつあると思います。
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(左より)齋藤精一、落合陽一、草野絵美

草野:
落合さんはサロンを開かれていますが、ファンの方とはどんな距離感を取られていますか?
落合:
大学のゼミをライトにしたコミュニティを作っています。"知的刺激"が受けられるコミュニティを、大学生以外の人にも提供したいんです。しかし、大学のゼミ同様のコミット感を求めるのはハードルが高い。ゼミの1/10くらいのコミット度で、ゆるやかに学んだり議論したりできる場にしようと思って運営しています。

とはいえ、いくらゆるやかなつながりでも500人くらいが限度です。 5,000人ぐらいになると、ただのファンクラブのようになってしまい、メンバー同士の交流が生まれなくなるからです。対してオンラインサロンは、僕とコミュニケーションを取ることで少しでもエッセンスを感じたいという人で構成されています。その点で、19世紀的なサロンと通ずるところがあるかもしれませんね。
草野:
個人がファンコミュニティベースでマネタイズしやすい時代になっていますよね。
平野:
そうですね。ただ、作品をどの程度外に開いていくかのさじ加減にも難しさを感じています。本当にクローズドなコミュニティで完結していると、内部の人だけに見せて内部だけで盛り上がる、新興宗教的なコミュニティになってしまうので。コアにコミュニティを持ちつつも、ある程度外にひらかれていることは必要だと思います。
草野:
齋藤さんが経営されるライゾマティクスはどうですか?
齋藤:
ライゾマティクスファンで就職希望に来てくれる方もいますが、ファンというよりは"同胞"といったイメージですね。僕が構想している、社会を物理的な空間で実装する手助けをしてもらいたいと考えています。

続く第4弾「思想・哲学が力を失ったいま、メディアが伝えるべきことは"問いの立て方"だ」では、インターネットにおける分散化時代においてメディアに求められる"集約"機能、そして昨今の出版業界の課題について議論してもらう。

前半では、難解な書籍と格闘する体力が失われたいま、メディアにはかつての思想・哲学が担っていた"問いの立て方"を伝える機能が求められている点を議論する。後半では、デジタル化に向けたトライアンドエラーと、"喋り口調"の本への注力という、今の出版業界に求められる2つのトピックについて語ってもらった。

↓↓↓OA動画は下記よりご覧いただけます。↓↓↓

(落合陽一が教える"落合ラボ"に適した人物像とは? ゲスト: 平野啓一郎)

構成:小池真幸

93年生まれのライター・編集者。AI系スタートアップのマーケターを経て、現職。関心のベクトルは、人文知をバックグラウンドにビジネス・テクノロジーを考えること。
Twitter:@masakik512



編集:オバラミツフミ

1994年、秋田県出身。2016年からフリーランス。各種メディアでのインタビュー連載・ブックライティングがメイン。
Twitter:@obaramitsufumi

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