『Hyper Reality』から考える「ポストVR」時代、人間の認知はどう更新されるのか?

2016.09.20 12:00

ロンドン在住のUI/UXデザイナーKeiichi Matsuda氏によって製作された映像作品『Hyper Reality』をご存知だろうか?
2016年5月に公開された6分間のこの作品は、VR/ARが当たり前になった世界の中で生活する女性を主人公にしたもので、公開当初から世界中でVRと社会に関する活発な議論を巻き起こした。VR元年と呼ばれ久しい昨今、VRデザイナーであり、メディアアーティストでもあるゴッドスコーピオン氏とともに、この作品の中でVR/ARが普及しあらゆる人々の生活が一変した未来の光景を紐とくことで、私たちがいま置かれている状況について考えていく。その中で「ポストVR」とも呼べる時代の生き方や、私たちの世界の見方にどんな変化が起こるのだろうか。

『HYPER-REALITY』 by Keiichi Matsuda より。

『HYPER-REALITY』

作者であるKeiichi Matsuda氏は映像作家及びVRのUI/UXデザイナーとして、 過去にはLeap Motion、Microsoft (with Arcade)、Sony Japanなど、今まさにVR領域の開発に携わっている会社とともに仕事をしている。また、 建築環境に置けるテクノロジーの利用及び人間の知覚の影響についても研究を行っており、世界でもまだ数少ない VRのUI/UX設計、デザインのスペシャリストと言えるだろう。今回の映像作品『Hyper Reality』は、2013年から開始したKickstarterのプロジェクトとして、個人的に製作したものである。

メディアアーティストでVRデザイナーのゴッドスコーピオン

翻って、今回この作品をとりあげ「ポストVR」とは?ということについて解説してもらうのは、ファッション向けVRプラットフォーム「STYLY」の開発者の1人ゴッドスコーピオン氏だ。 ゴッドスコーピオン氏はVRを用いてファッション×テクノロジーの分野で活躍する一方で、現代の魔術師として、オカルティズムの観点からテクノロジーを用いた人間の認知の更新に挑戦しているメディアアーティストでもあり、これまでに音楽に合わせたVR空間ジョッキー『Spacial Jockey』や現代魔術師のバンギ・アヴドゥル氏との共作でVR儀式作品「NOWHERE TEMPLE Beta」など様々な作品を発表している。
今回は自身が積極的に取り組むVRの分野について、『Hyper Reality』という作品がもたらした未来予測的なイメージを一つ一つひもときながら、VRが当たり前のように使用されるようになった未来の私たちの振る舞いについて語ってもらった。

◼︎何が「ヴァーチャル」なのか? VRがもたらす認識の変容

--まずVRアーティストとしてのゴッドスコーピオンさん(以下「ゴスピ」)について教えて下さい。なぜ今VRを使って作品を作るのでしょうか?

ゴスピ:
もともとVRの概念自体は儀式や神話と遡っていくときりがないと思うのですが、前身技術自体は、1930年代に飛行機シミュレーターとして登場していて、今になってこれらの言葉が流行りだしたのは、3DCG技術の発達やUnityやUnreal Engineといった開発環境の充実化やHMD自体のレイテンシー問題の大幅な改善、Oculus RiftやHTC Viveのような高品質なHMDの価格が安価になってきたということに付随して、その分野で活躍するプレイヤーの母数が多くなり、VRを使ったビジネスや広告、ゲーム、表現の手段として活用できるレベルになってきている事が起因していると考えます

私自身、VRに強く惹かれるようになった原因として、「ヴァーチャル」という言葉自体に人間の認識を大きく変える強い力があるというふうに感じたからでした。ウィリアム・ジェイムズという19世紀の哲学者、心理学者の本で、『宗教的経験の諸相』という本があるのですが、その中で書かれている「宗教場」という言葉は今でいう「ヴァーチャル体験」に置き換えられるのではと思います。一つ例を挙げると、日本では邪馬台国の卑弥呼がかつて鬼道を用い天候を自在に操り、人々の心を掴んで女王として君臨した、という話の中で、実は様々な事象から天候を予知、演出し群衆に伝えていたという事が、群衆からしてみれば卑弥呼が天候を操っているかのように見えたために、卑弥呼を女王として認め崇めていた、という説があります。これは確かに現実に起きている事象に全く別の意味を与えることで、人間の認識の上でより強い経験を得るという「ヴァーチャル体験」そのもので、今私たちがHMDをかぶって別の現実とされている世界に視覚的に没入するということとほぼ構造的には変わりません。人々の認識を根こそぎ変える強い力がVRと呼ばれる分野にはあり、その中身をいかに作り発展させていくか、ということに非常に興味があります。

--今回のテーマとして「ポストVR」ということを挙げられてますが、これはどういったことになるのでしょうか?

ゴスピ:
「ヴァーチャル」という言葉の対義語を考えた時に、それは「アクチュアル」になる。つまり実質的な形を持ってそこにあるという状況が「ヴァーチャル」という言葉と対比されます。今まさに技術的な意味で、ヴァーチャルな世界への入り口としてのHMDや制作環境が、アカデミックな研究の場から、実用の場へと躍り出て、より現実感を持ってきているということが言えると思います。
これはすでに私たちがインターネットというキーワードの下に体験しているダイナミズムでもあります。インターネットが実用の場に登場してから20年あまりという短いスパンで、それがなくては生活ができないとすら言われるようになり、人間同士のコミュニケーションにおいてあまりにもドラスティックに変容した認識を追いかけることは非常に難しい。(例えばgoogle mapの登場によって人々の移動のあり方は大きく変わりました)「ポスト・インターネット」と呼ばれるインターネット以降のアートのあり方は、その認識の変容を捉えるべく様々なアーティストが挑戦している様を表しています。
そしてこれからVRがより多くの人々に浸透していく時、人間の知覚、視覚に直にアピールすることができるという点で、これはインターネットの時よりもさらに大きな認識の変容をもたらすことは間違いありません。そこで「ポスト・インターネット」に倣い「ポストVR」という切り口で、今のうちからその認識の変容についてアンテナを張り、考えていくことが重要になるのです。

『Hyper Reality』 by Keiichi Matsuda より。
行政が管理する信号や銀行の看板など、社会になくてはならないシステムまでもがAR表示を採用していることがわかる。

--そこでVR/ARが作品の中心として描かれているKeiichi Matsuda氏の『Hyper Reality』という作品を軸に考えていくというわけですね。

ゴスピ:
この作品の中で描かれているVR技術は、実際に作者本人がVR/ARデザイナーとして仕事をする上で培ったあらゆる知見に基づいています。そのため作品を通して、その描写に虚構があるように感じられないというところに驚かされます。街中の広告や、あらゆる掲示物にホログラフィックが使われている近未来は、一見するとどぎつい色で、過剰なアピールをしているように思われるのですが、これをHMDを通して実際に主人公の視点にジャックインするように鑑賞してみると、全く違和感がない。VRはこれまで研究や学術的な分野にあったという意味で節度ある使われ方をしてきました。それが広く普及し、多くの人の手に渡ることでその使い方のたがが外れてしまった時、私たちの意識がHMDやARグラスを通してみる景色に没入していると言うことを認識することができなくなってしまうかもしれないという恐怖心すら思い起こされます。
また、僕自身VRの分野にいるものとして常日頃から感じていることに、 VRをつかって何をするか?ということを考える時に、短期的な欲望はイメージがつきやすいんです。例えば好きな女の子の膝枕で寝たいということだったり、宇宙空間でロボットに乗って戦うパイロットになりたいという欲望は、VRを使えばすぐに叶えることができる。でも、もっと日常の所作の中に織り込まれている欲望や、誰もが思っているけどまだ実現されていない利便性ということに関して、VRに携わる人間はもっと考えていかなければならない。携帯を開くという動作さえ省かれ常に視覚に直感的に欲求やインフォメーションが表示されるようになった未来はどうなるのか?その意味でも、この『Hyper Reality』はさまざまな示唆に富んだ作品だと言えるでしょう。

◼︎『Hyper Reality』という作品が示唆するポストVR社会へのヒントとは?

--この作品が持つ、VRの可能性を紐解いていくときに留意するべき点はなんでしょう?

ゴスピ:
最も大きな点に、「日常のゲーミフィケーション」が挙げられると思います。ARグラスに表示されているユーザーインターフェイスの一つ一つを注意してみていくと、実はスターバックスといったグローバル企業や、この作品の舞台であるコロンビアに実際にある企業のロゴマークがいたるところに見受けられます。例えば作品冒頭に主人公がプレイしているパズルゲームはスターバックスが提供しているもので、このゲームをプレイするとコーヒーが一杯無料になる、というサービスの一環として取り入れられています。さらに見進めていくと、主人公である教師を目指す中年の女性が、Job Monkeyというクラウドソーシングの仕事を紹介するエージェントから、ひたすらスーパーへのおつかいのアルバイトを斡旋されているということがわかります。しかもそのおつかいをするたびにポイントが溜まっていく。教師になるためにはJob Monkeyが勧めてくる仕事をこなし、ポイントを貯めることが必要だ、という世界になっているのです。その世界の中でポイントを貯めることが自身のアイデンティティとなった主人公は、その習慣から抜け出すことができずにいるにも関わらず、最後にはクラッカーに自身のID情報を抜き取られ、せっかく貯めたポイントが無に帰ってしまう。

『Hyper Reality』 by Keiichi Matsuda より。
主人公が冒頭でプレイしているパズルゲーム。クリアするとスターバックスのコーヒーが無料で飲める、というサービスになっている。

--その部分だけ聞くとディストピア世界のようで怖いですね。

ゴスピ:
今その話を聞いても大抵の人が一笑に伏すかもしれませんが、この世界観に「もしかすると有り得る」という強烈な説得力を与えているのがARグラスのユーザーインターフェースです。例えばバスを降りるとき視界に表示されるランプ、正しい道のりを示すマップ、さらには公共の信号までもが、ARグラスを通してユーザーに情報を与えている。そんな世界で、ARグラスに表示されている情報がなければ生きていけないというほどに依存してしまう人が現れてくるのは想像に難くありません。私たちもgoogle mapがなくなってしまったら目的地に辿り着く事が困難になるように、今では情報を受け取るインターフェイスはスマホやPCのディスプレイという枠にとらわれていますが、それが現実の景色にオーバーラップするという状況になったとき、それが便利でないはずがない。事実、ingressやまさに『Pokemon GO』などの地図情報を基にしたARゲームは多くの人の生活スタイルの中で「歩く」という行為の優先順位を押し上げました。ゲームによって現実が規定されるという逆転現象は起きうるということがわかってきています。

加えて、この作品の中でよりリアリティを生み出すこととなっているのが先ほども述べたJob Monkeyというタスクマネージメントのエージェントです。細かく見ていくと、本当に日常の瑣末なタスクまでもを一覧管理して、その達成具合に応じてユーザーにポイントを与えるというシステムになっているということがわかります。これはARグラスが日常の景色に情報を表示するという特性を持つことから、人間が苦手とするタスク管理を誰かに任せたいという欲望を汲み取った結果、あらゆるタスクを可視化するエージェントとしてのサービスが発展する、という風に考えることができるでしょう。さらにはそこにポイント加算という報酬システムを組み込むことによって、タスク管理をゲームのように楽しくすることができるかもしれない、という可能性を示しています。作品の中ではそのシステムに依存したがために主人公の女性が自分の生きる道に迷ってしまう様子が描かれているわけなのですが、この光景も大いにありうるものとして考えることができるのではないでしょうか。

『Hyper Reality』 by Keiichi Matsuda より。
主人公のプロフィール画面。右下のポイントゲージや、左下のタスクマネージャーなどが彼女の行動を束縛することになる。
フレンドが3人しかいなかったり、"Achievements"の部分が空欄であるなど、彼女がポストVR社会においては比較的弱者だということが示唆されている。

--ゲームが現実を規定する、という話で、少し前によく言われていた「ゲーム脳」という言葉を思い出しました。
子供の頃からテレビゲームばかりしていると、現実とゲームの区別がつかなくなってしまうという...
ゴッドスコーピオンさん自身は、VRとオカルトを扱うアーティストとして、VRとファッションを扱うVRデザイナーとしてそれぞれどのようにVRのなかで議論を起こしていくのでしょうか?

ゴスピ:
現実と虚構の境目は、常にテクノロジーに進歩によって揺らいできました。過去にも写真やCG、映画が発明されて、人々の手に渡って行った時、そこに映る画像、映像は本当に現実か本質か?という議論は常になされてきました。現代のVR/AR技術の普及において議論されるのは、そこにないものをあるかのように考え、それに対してどんな行為を人間が起こすか?ということ。それがこの作品では広告だったり、タスクマネージメントのアプリケーションだったりして、人々の期待と恐怖心を同時にあおるものとして作られています。

僕自身は、アーティストとしても、デザイナーとしても共通してVRを通して人間の想像力の幅を広げていきたいと考えています。ファッションをそのテーマとして選ぶ大きな理由としては、服を着るという行為自体は今の時点では圧倒的に現実感を伴うものであるということが挙げられます。STYLYというヴァーチャル空間で服を選ぶことができるサービスは、確かに選ぶ際はヴァーチャルでも、着る時はその服は現実の物質として自身の身体を確かに彩る。そんな現実感に根ざしているところに魅力を感じています。
オカルティズムや魔術というのはもともと人間にとって説明のつかない現象や想像力の範疇を超えた外部性にあるものだと考えた時に、アーティストとしてオカルティックなものに取り組むことは、現代の人間にとって想像力の範疇はどれくらいの幅があるのか?という問いに向き合うことになります。その境界を明らかにした上で、誰も考えつかなかったような新たな視点や、考え方を提示できるような活動をしていきたいと考えています。VRというもう一つの現実について考える分野におけるオカルトは、最終的に人間の身体のこれからのあり方につながっていきます。「いま、ここ」ではないどこかに到達した時、人間にとって認識の拠り所となるのは自分自身の身体なのか、それともそれ以外の何かなのか。新たな認識を生む瞬間に立ち会うことができればいいと考えています。

「VRやARの浸透により、それが当たり前の世界となった未来で問題になるのは、『現実は大多数の合意の上で成り立ついわばオフィシャルなものと、個々人の見る世界観の上に成り立つ超個人的なものがある』という『現実』の言葉自体の意味が変容するということであり、その中で個々人がもつ『それぞれの現実』の共有、追体験ができる未来への可能性を感じている」と語るゴッドスコーピオン氏。ともすればゲームや、そのほかの没入型コンテンツとして集約されてしまうかもしれないVRという手段は、実はそれ以上に我々の認識を揺さぶる可能性を秘めている。その可能性に真っ向から挑戦する姿勢はまさしくアーティストとしてこれから記憶されていくことになるだろう。
テクノロジーによって世界の見方が変わるという体験を、おそらく私たちはこれから幾度となく経験することになる。その立役者の一人としての姿を見逃す手はないだろう。

取材・文:兵藤 友哉

1995年生まれ。フリーライター。早稲田大学文化構想学部表象メディア論系在籍。専らの興味は「メディアテクノロジーの進歩による人間の認知の更新」。SENSORSでは「VR」「ドローン」の記事を担当。
Twitter @do_do_tom

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