ICC主任学芸員・畠中実氏と巡る「オープン・スペース2015」

2015.06.16 11:00

NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]にて、5月23日(土)から2016年3月6日(日)にわたり開催される「オープン・スペース」。2006年から開始された当展示では、多数のメディアアート作品が出展される。年度ごとに展示内容は異なり、今回も新旧問わず多数のメディアアート作品が、国内外から14組が出品している。今回SENSORSではICC主任学芸員・畠中実氏アテンドの元、特に注目度の高い9作品を鑑賞。今年度の「オープン・スペース」に込めたコンセプトを伺った。

■メディアアートと出逢う場「オープン・スペース」

「ICC オープン・スペース 2015」HPトップより(http://www.ntticc.or.jp/Exhibition/2015/Openspace2015/index_j.html

4月に行われた「六本木アートナイト」が年を追うごとに来場者を増やしつつあるように、日本でもようやくメディアアートに注目が集まりつつある。NTT インターコミュニケーション・センター [ICC]では、"メディアアート"そのものが一般的ではなかった1997年より、先進的なアート作品を発信し続けてきた。2006年からスタートした「オープン・スペース」では、毎年展示を変えながら、今年で10回目を迎える。

「オープン・スペース 2015」展は,メディア・アート作品をはじめ,現代のメディア環境における多様な表現をとりあげ,幅広い観客層に向けて紹介する展覧会です.メディア・アートの代表作や新作,歴史的な作品,また教育機関による研究成果としての作品などが展示され,作品を楽しむだけでなく,その背景にある現代の多様化したメディアやコミュニケーションの在り方などについて考えるきっかけとなることをめざしています. 引用:「オープン・スペース2015」HPはじめにより

「オープン・スペース」では作品展示の他にも、会期中にアーティストや有識者を招いたトークイベント、レクチャー、シンポジウム、そしてワークショップなど多彩なプログラムが用意されている。ヨーロッパのようにメディアアートがまだ盛んとはいえない日本において、興味を持った人々がアート作品へアクセスするための貴重な場となっているといえる。(参考:メディアアートのど真ん中「STRP 2015」を真鍋大度はこう見た

■スズキユウリ《ガーデン・オブ・ルッソロ》(2013)

作品のタイトルは、20世紀初頭のイタリアで興った前衛芸術運動「未来派」ルイジ・ルッソロにちなんでいるという

エントランスで来場者を待ち受けているのが、サウンドアーティスト・プロダクトデザイナーのスズキユウリ氏が出展する《ガーデン・オブ・ルッソロ》。並べられた5種類の大きなスピーカーのような箱型オブジェにはそれぞれ異なった仕掛けが施されている。例えば、発せられた声や音を逆再生したり、ノイズにしたり、メロディとして変換したりするのだ。
エントランスで雑談する来場者の声を集音し、装置を介して異なった音に変換することで、新しい身体コミュニケーションを呈示している。

この作品をエントランスに配置した意図について、主任学芸員・畠中実氏はこう語る。

畠中:
展示の入り口ということもあり、近づきやすくてハードルの低いもの、インタラクティブ性が高いものが選ばれる傾向にあります。以前にICCでも展示した鈴木康広氏の《未来の足跡》(2009)なんかもその典型。誤解を恐れずに言えば、分かりやすいインタラクティブなものを配置することが多いです。

鈴木康広《未来の足跡》(2009)撮影:木奥恵三 :自分の歩く一歩先に足跡があらわれる(「オープン・スペース2013」よりhttp://www.ntticc.or.jp/Archive/2013/Openspace2013/Works/Please_Watch_Your_Time_j.html

(なお、スズキユウリ氏は以前にもSENSORSで取り上げている:サウンドアーティスト・スズキユウリ ~音×テクノロジーが奏でる不思議な世界~

■岩井俊雄《マシュマロモニター》(2002)

鑑賞者は、カメラの前で変化する自身の画像がどのように変化していくのかを見ながら体を動かし、作品と対話をするような行為を促される非常に相互作用性の高い作品。

ビデオの映像は1秒に30枚の画像からできており、1枚1枚の画像を書き換える時間を遅くすると、その間に動いた位置の変化が画面に軌跡として表示されるのだという。

白いマシュマロのような形をしたオブジェに組み込まれたモニター。こちらも展示へ向かう階段前のエントランスに配置されたインタラクティブな作品だ。外部のカメラによって撮影された自分の姿は、波打つようにギザギザに変形したり、水平な細い線状に分断されたり、動きに応じて奇妙な形になる。

動いているものだけに変化が生じるため、背景を含めた静止物に変化は起こらない仕組みになっている。 岩井俊雄氏が制作した、もう一つの作品《マシュマロスコープ》(2002)と兄弟のような関係にあるという。"スコープ"は以前から展示されていたが、こちらの"モニター"は今回ICCでは、はじめて展示されることになったそう。

■セミトランスペアレント・デザイン《1つとたくさんの椅子》(2015)

デジタル・メディアとは切り離すことができない「変換(encode)」と「復号(decode)」という要素、さらにインターネット普及後の知のあり方の変容を示す好例といえるウィキペディアのテキストを取り入れることによって、作者はジョセフ・コスースの《1つと3つの椅子》の再構成を試みているそう。

デザインチーム「セミトランスペアレント・デザイン」が展示する《1つとたくさんの椅子》。椅子の左側にあるディスプレイに、リアルタイムで椅子をカメラで撮影した映像が表示されている。各ディスプレイの正面にあるカメラが撮影した映像は、画像変換アルゴリズムによって処理されディスプレイに送られるため、会場の様子や映像に入り込む鑑賞者の姿など不確定要素を取り込みながら、椅子のイメージを可変的に表示する。
とりわけ興味深いのが、椅子の右側に設置されたもう一台のディスプレイで、画面上には英語版ウィキペディアの「Chair(椅子)」の項目の更新履歴が順に表示されている。彼らが参照した、コンセプチュアル・アートの代表作品とも目されているジョセフ・コスースの《1つと3つの椅子》は、実物の椅子と写真の椅子、そして辞書による椅子の定義を三つ並べて提示することで「椅子」という観念がどのように規定されているのかを問いかけていセミトランスペアレント・デザインが解釈し,再構成したこの作品では、コスースの作品が発表されて50年後となる2015年のメディア環境ならではの表現となっているのではないだろうか。

■菅野創+やんツー《セミセンスレス・ドローイング・モジュールズ #3(SDM3)--ポートレイト》(2015)

作家の菅野創・やんツー両氏は,あえてノイズを機械の創造性として捉え,そこから対照的に浮かび上がってくる人間の創造性とは何かを探ることをテーマとしているという。

白地の壁全体を行き交う三色の吊り下げられたペン。プロジェクションされた作者二人の顔を描くようにプログラムされている。本来、人が対象を描く場合、対象だけを見続けて描写することは不可能に近い。ある瞬間を起点に、頭の中でイメージを膨らませ、絵に起こしていく。それに対し、このドローイング・モジュールでは映像からあるフレームを選択し、アルゴリズムによって数値化されたデータをもとに描画が行われる。この絵がいつ描き上がるのかは、畠中氏にも見当がつかないという。取材時の時点では、作者やんツー氏の顎がぼんやりと描かれているのが確認できた。
そもそもこの絵の完成時点をいつにするのかというテーマもある。放っておけば濃い絵になっていくし、ある程度輪郭が描けたら終わりにすることもできる。

■藤幡正樹《オクリモノ》(1980)《未成熟なシンボル》(2006)

《オクリモノ》は1980年に友人の結婚式のために作られたアニメーション作品だという。

《未成熟なシンボル》作品のモチーフであるトランプのイメージと実物のトランプがテーブルの上で併置されることで、鑑賞者と作品の間にインタラクションを誘発する。

1980年に発表された《オクリモノ》は、石の動きと、その石に描かれる絵の動きが一つのアニメーションの中で表現された藤幡氏初期の作品である。一方で、2006年に発表された《未成熟なシンボル》だが、こちらも同様にコマ撮りを用いたアニメーションの手法による作品。
長方形の天板にはスピーカーが設置されており、天井からコマ撮りされたトランプのアニメーション映像が投影されている。テーブルの上には本物のトランプカードも置かれており、鑑賞者は自由にそれを動かすこともできる。

畠中:
この作品は、映像のカードと本物のカード、記号作用として二つが変わらないことを示しています。CGなら簡単に作れてしまうものを、あえてコマ撮りのアニメーション手法を使うことで、その記号性を浮かび上がらせているんですね。とくにカードっていうのは平面のものなので、映像で映っているものと本物の間に差がなくなってしまうんです。

■高谷史郎《Toposcan / Ireland 2013》(2013)

作品には、風景の映像として構成されることになる線状の色の帯、動いている風景の映像、そして移動した映像が定着された静止画像という、異なる三つの映像の様態が表示される。

16:9のモニター8台が、全体で一つの映像となるように横一列に連結され、映像の中をモニター1画面が、ゆっくりと端から端へ移動していく。しかし、移動する映像の進行方向先頭よりも前方には、その映像の先端の1ピクセル分の映像が引き延ばされたように、色による何本もの線状の画像が表示されていて、その線から画像が紡がれていくような印象を与える。

畠中:
例えば、風景をスキャナーみたいな方法で見る人がいたとするなら、こういう風に見えるということです。遠近風景というものはレンズから生まれます。対して、こういった表現方法から観察する風景では、いわゆる"パースペクティブ"というものが失くなっていくんですね。

360°パノラマ撮影を瞬間的に変換してくれるソフトが多くある中で、その過程を徐々に見る体験というのは、どこか不思議な体験でもあり、風景に惹き込まれていく感覚を覚える。

■平川紀道《knowns, unknowns and the irreversible》(2015)

〈the irreversible〉コンピュータ・プログラミングによる高速、精確な計算過程とそれが破綻するまでの時間を1つの長大な不可逆現象として考える〈knowns〉。個人という固有の顔を元にして,実在の誰でもない「人間」という抽象化されたモデルの生成を試みる〈unknowns〉。現実の宇宙だけでなくコンピュータ・プログラムにおいても起こり得ない時間の逆行を映像によって実現し、超自然的な時間の流れを作りだす〈the irreversible〉となっているという。

〈unknowns〉ある点の集まりが、時間とともに飛び散るような不可逆な現象を映像化したものを逆再生することで、最初の瞬間に示された計算結果から初期状態に戻って行く過程を見る。

この作品は3つの要素によって構成されている。コンピュータ上のメモリ領域で処理することのできない数に達するまで、アルファベットの文字列を生成し続けながら、その中で実在する人名をのみをハイライトで映し出すという〈knowns〉。9桁の文字の組み合わせを全て表示し終えるのに何千年もかかってしまうのだとか。
写真下〈unknowns〉では26人の女性にインタビューした映像を各人それぞれにaからzの文字を割り当て、プログラムによって生成されたアルファベット16桁の文字列と対応するように、aからzの映像から抽出された1ピクセル列を並べ直し、毎秒60パターンの顔のイメージが生成され続ける。

■和田永《蟹足電輪塔》(2015)

出力元の音声信号は一種類だが、ラジオのチューニング・ダイヤルの位置や個体特性、また電輪塔との距離などの要因によって、多様な種類の音色を抽出することができるののだという。

蟹の足を模した形の塔に収められたブラウン管モニターが、様々な縞模様を映し出す。周囲を囲むラジオからは、映像パターンとシンクロして様々な音色が出力され、リズムを刻んでいる。これらの映像は、モニターの映像端子に直接音声信号を入力し生成させたもので、縞模様の幅は、音声信号の周波数に対応しているという。塔の上部に設置されたフラッシュも、放電時に電磁波を発生させる。ラジオは、これらの電磁波を受信して音を変換させる仕組みになっているという。

(なお、SENSORSでは以前、作者の和田永氏にインタビューを敢行している:世界が注目!ロストテクノロジーをアートに昇華する和田永の世界

■ビル・フォンタナ《リニア・ヴィジョンズ》(2014)

作者フォンタナは、自身の音響作品のことを「音響彫刻(Sound Sculpture)」と呼ぶ。地理的に離れた都市の音を聴くことで、さまざまな音の要素から連想される意味や記憶を鑑賞者に想起させるものだという。

オーストリア・リンツのフェストアルピーネ(Voestalpine)製鉄工場における、鉄の製造過程という具体的な状況が映し出した《リニア・ヴィジョンズ》。元々、実在の製鉄工場の映像と音を伝送するプロジェクトだったという。機材もマイクではなく、振動センサーのようなものが使用されているため、普通は耳に聞こえていない微音まで集音しているのだとか。 熱された鉄と水によって冷やされ、水しぶきと蒸気に包まれた、色鮮やかな輝く鋼板の流れと、センサーによって感知される衝撃音と持続的なノイズ。眺めていると、あたかも抽象的な光景をみているかのような錯覚を覚える。

■メディアアートは"世界の描き方"そのものを問う営為

畠中実氏(NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]主任学芸員)

メディアアートで重要になるのは、作品の内容そのものと同等に、表現方法=対象の捉え方そのものだと語るICC主任学芸員・畠中氏。例えば、高谷史郎氏や平川紀道氏の作品は自分の身の回りの世界を問い返し、違った角度から世界を記述しているのだという。よく知られるように、アートには印象派、キュビズムなど様々な学派や表現思想がある。メディアアートという茫漠とした芸術表現を畠中氏はどのように捉えているのだろうか。

畠中:
メディアアーティストは、世界の表現の仕方を一から考える人。例えば、フォンタナの《リニア・ヴィジョンズ》にしても、製鉄所という一見変哲もないものを"スペクタクルなもの"として表現し返す。世界の対象の捉え方、どこにフォーカスするのか、その大元の考え自体が表現力になるのがメディアアートなんですね。

取材・文:長谷川リョー

1990年生まれ。フリーライター。これまで『週刊プレイボーイ』『GQ JAPAN』WEBなどで執筆。「BOSCA」編集長。東京大学大学院学際情報学府在籍。@_ryh

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