人形文化はテクノロジーと融合し、生き残り続ける:気鋭の人形研究者が、その拡張可能性を考える

2019.04.01 08:00

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早稻田大学の文学学術院の学生が、いま最も面白いと支持する講義がある。「人形メディア学」を標榜すると呼ばれるその講義では、『トイ・ストーリー』や初音ミク、ラブドール、ゴジラ、ガチャピンなど、古今東西の人形文化が扱われる。研究内容を一冊にまとめた書籍『人形メディア学講義』(河出書房新社)を上梓した菊地浩平を訪ね、人形文化の豊かさに迫った。「人形」からはわたしたちの社会ばかりか、生命と非生命のグラデーションすら見えてくる!?

──本日はさまざまな人形も持ってきていただき、ありがとうございます。これ、『デトロイトビカムヒューマン』ですよね。アンドロイドが主人公のゲームですが、このゲームも研究対象なんですね。

菊地:わずかでも人形と関係あれば、人形メディア学の射程内です。「デトロイトビカムヒューマン」は『SENSORS』っぽいと思ったので持ってきました。自分の選択の積み重ねによってアンドロイドたちが生き残れるか決まる。これまでのロボットやアンドロイドを扱う作品は人間の視点からそれを描くことが多かったけれど、ゲームというメディアの特性を生かして、プレイヤーがアンドロイドの彼ら/彼女らになりきれるのが面白かったですね。

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多様な「人形観」が、その定義を拡張する

──『人形メディア学講義』も読ませてもらったんですが、そこで扱われる人形も幅広いですよね。『トイ・ストーリー』や初音ミク、ラブドールから殺人タイヤ映画の『ラバー』まで幅広いですよね。菊地先生は「人形」をどのように定義していますか?

菊地:最初は定義しようとしていたんです。論文や本を書くためには、「人形はこうです」と定義するのが基本的な考え方ですから。試みたんですけれど、結局は定義しきれていない(笑)。

毎回最初の講義で、「あなたたちにとっての人形体験を教えてください」と受講生からコメントを募るんです。すると、自分が人形だと思ってなかったようなモノの話がどんどん出てくる。最初は「みんな面白いことを考えるな」くらいに思っていたんです。でもそうやって、想定からはみ出したもののほうが面白く見えてきて、彼ら/彼女らの「人形観」を参照しないとニーズに応えられないかもなと考え直しました。その結果、今では「人形は定義できない」、「受講生それぞれがその範囲を自由に拡張してよい」ということを出発点とするようになりました。

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菊地浩平(きくち・こうへい)
1983年、埼玉県生まれ。日本学術振興会特別研究員(PD)、早稲田大学文化構想学部 表象・メディア論系助教等を経て、現在早稲田大学、首都大学東京等で非常勤講師。研究対象は人形文化全般。

──講義を重ねるごとに拡張していくわけですね。たとえば、リカちゃん人形やバービー人形のエピソードを語る人はわかりやすいと思うのですが、その枠からはみ出すものって何なんでしょう?

菊地:いろいろあるんですけれど、最近読んだ学生のレポートでは、箱根駅伝の襷が人形だという考察がありました。人の形はしてないんだけども、襷はつよい意味をもっている。何年も練習してきた選手たちが襷をつなげなかったら、優勝という目的は達せられない。彼らにとっても、観てるわたしたちにとっても大事なものです。我々が人形に見出す感情と襷に見出すものに差があるのだろうか、というレポートの内容でした。

──もはや人の形から逸脱しているんですね。

菊地:あと伝説になっているのは、ドアノブさん。ドアノブに挨拶しないと寝れなくなった経験があるという受講生です。そこから始まり、あらゆるモノに対して似たような感情を抱いてしまい、モノを捨てることが困難になったと。

そんな彼女も今や大学生活後半で、サークルや就活で忙しい。そうすると、昔はいろんなモノに生命を感じ、自分は非常に慈しみ深い人間だと思っていたけれど、そういった感情がなくなりつつあって、その変化に罪悪感を覚えるようになったと。まあここまで到達する方はなかなかいませんけれどね。

「人形」に生命を感じるか?

──襷やドアノブといったヒトガタでないものも研究対象に含み、それに生命を感じる人もいるわけですね。

菊地:そうです。そうやって広義の「人形」を研究するなかで、生命と非生命のグラデーションが見えてくるかなと思っていて。一般的には「人形を生きているかのように感じて大事にしています」と言われたら、ドン引きするかもしれない。でも講義で、例えばドアノブや襷を例に挙げつつ思考実験を重ねていけば、そうした感覚を理解したり、理解出来なくとも許容できたりする人が増えていくんじゃないかと期待して教壇に立っています。

──「人形を生命のように扱う」ことで、わたしたちへの人形の扱いはどのように変わるのでしょうか。

菊地:有名なホラー映画の作り手で、講義にもゲストで来ていただいたことのある三宅隆太さんは、撮影現場にやってきた人形を役者と同じように扱うらしいんです。人間の役者も、ちゃんとその役の人として扱わないと良い表情が撮れないのと同じで、人形を単なるモノとして扱うと良い表情が撮れなくなってしまうと。

──画面に映る人形の"表情"を捉える上で、役者として扱うことが重要なんですね。

菊地:そう。生命を感じるところまでたどり着かなくてもいいけれど、リスペクトは重要だと思っています。最初にした『デトロイトビカムヒューマン』の話と関連しますが、超高齢化社会に突入した日本ではロボットが介護の現場に入っていくことは間違いない。そこでロボットに辛く当たったり、暴力を振るう人が増える可能性って結構ある気がしていて。でも、もしロボットが壊れれば、自分のせいで壊れたと思うでしょう。面倒を見てもらっている分、罪悪感を覚えるかもしれない。

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──人間と人形やロボットの関係には、つねにリスペクトがなければいけない。

菊地:奇妙に思われるかもしれませんが、ロボットだろうと人だろうと、そこに発生しているのは相手がいるコミュニケーションなので、「ちゃんとリスペクトし合う」という基本に立ち返ることになるんじゃないかと思いますね。

──関係論からロボットを捉えていく試みは、SENSORSでも以前取材した岡田美智男先生の「弱いロボット」にも通じる話ですね。

菊地:そうですね。わたしの書籍でもエピグラフで『弱いロボット』の一節を引用させていただいています。

社会の写し鏡としての「バービー人形」

──人形のなかでも人の姿をしているものは、その時代ごとの社会像を反映しているのではないかと思うんです。著書のなかでも、リカちゃん人形とバービー人形に言及していますよね。

菊地:今年で60周年を迎えたバービーには、新作として義足と車椅子の人形がラインナップに加わることが発表されました。プラスサイズや黒人やアジア人といった幅広い人種のバービーが追加されたことは、少し前に話題になりましたよね。過去に、バービーの友人という設定で多様な人形が登場したことはあるんですけれど、「バービー」という名でこうしたラインナップが展開されている現状はとても示唆的です。言ってみれば社会の多様化にバービー人形を対応させていくという流れで、これ自体はすごく素敵なことだと思っています。多様なラインナップに励まされる人がたくさんいるはずです。

一方で、わたしもプラスサイズのバービー人形を一体もっているのですが、それが青い髪の毛に紫のサングラスで服装も結構奇抜な格好をしているんですね。これをもし「プラスサイズの女性は、奇抜な格好しがち」というメッセージと捉えられてしまえば、バービー人形をつくっているマテル社の意図と反することになる。そこに人形が何かを表象することの難しさがある気がしています。

人形研究者としてあえて言いたいのは、「その人形は魅力的なのか?面白いのか?」ということ。非常にデリケートな問題なのですが、多様なバービー人形に励まされる人たちが確実にいる一方で、そうしたシリーズを魅力的に感じたり、欲しがる人がどれくらいいるかはまた別の問題です。作品を受けとる側として、「子ども向けのおもちゃとして魅力があるかどうか」という視点は持っていたいと思うんです。

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──その一方でリカちゃん人形はいかがでしょうか。

菊地:リカちゃん人形とバービー人形を比べると、日本のやや悲しい状況が見えてきますね(笑)。

社会の多様性をその姿形で体現するバービー人形は言ってみればオピニオンリーダーであり、米国のセレブと立ち位置が近しいんです。米国のセレブは政治的な立場やメッセージを積極的に発信するのが普通ですよね。その一方で、日本ではタレントが政治的なスタンスを表明すると叩かれることが多い。それと連動するように、リカちゃん人形も何かしらのオピニオンを伝えるメディアにはなっていない。もちろん、バービーは17歳でリカちゃんは11歳という設定があったりするので、リカちゃんはその時点でやや分が悪いわけですが、この2つの人形の違いが、日米の芸能界やタレントの置かれている状況を象徴しているのは事実だと思います。

人形文化はテクノロジーと融合し、生き残り続けるかもしれない

──これからの時代に「人形」はどんな役割を果たせると思いますか?

菊地:さまざまな娯楽が登場するなかで人形の売上は減っており、従来の人形文化は少しずつ廃れていくかもしれません。でも人形に対する見方を変えることで、生き残る可能性も出てくると思うんです。

たとえば、今年の2月にアップル社が、会話可能なトーキング・バービーシリーズなどを手掛けたPullStringという、音声認識技術で知られる会社を買収したんですね。スマートスピーカーの形状は、縦長の棒のようなものだったと思うのですが、これからは人形がスマートスピーカー化していくかもしれない。わたしは棒状のものもかわいらしいな、とは思うんですけれどね(笑)。

──テクノロジーが人形の可能性を拡張してくれるわけですね。

菊地:そうなんです。新しいテクノロジーを取り入れたり、融合したりすることで、人形文化は残っていくことができるんじゃないかと思います。もちろん、古くからある喋らない人形が好きな人がいてもいいですし、そうではない人に間口を開いていくことも大事な気がするんですよ。

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取材・執筆:岡田弘太郎

1994年生まれの編集者 / DJ。『SENSORS』シニアエディター。大学在学時に『greenz.jp』や『SENSORS』で執筆、複数のウェブメディアで編集を経験し、現在は編集デザインファーム「inquire」に所属。関心領域はビジネス、カルチャー、テクノロジー、デザインなどを横断的に。慶應義塾大学でデザイン思考/サービスデザインを専攻。
Twitter:@ktrokd



撮影:岡島たくみ

㍿モメンタム・ホース所属のライター・フォトグラファー。人に内在するストーリーを紐解くことが仕事です。主な執筆媒体に FastGrow、HealthTech+、co-media で「僕でもエースになれますか」連載中。
Twitter:@tkmokjm

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