逆境を力に変えたリーダーたちの人生ストーリー
--朝倉祐介×前田裕二 リーダーズトーク

2017.12.26 16:00

「人生100年時代の次世代リーダー」をテーマに行われたSENSORSサロン。
ゲストはシニフィアン株式会社共同代表 朝倉祐介氏と、SHOWROOM株式会社代表取締役 前田裕二氏だ。

4回にわたってお届けする第1弾記事では、ゲストの二人がリーダーに至るまでの人生ストーリーを伺った。朝倉氏はかつてジョッキーを目指していた経験が、前田氏は両親を失った逆境から這い上がる反骨精神がルーツにあるという。

彼らはいかにして現在の地位に辿り着いたのだろうか。人生100年時代を牽引する次世代リーダーに共通する経験や思考を紐解いていく。

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(左より)前田裕二氏、朝倉祐介氏(右より)落合陽一、齋藤精一

まず『SENSORS』MCの二人は、今回のテーマ「人生100年時代の次世代リーダー」をどのように捉えているのだろうか。

齋藤精一(以下、齋藤):
時代が変化しても、リーダーに求められるものはあまり変化しないと思います。
僕も会社を経営しているのでリーダーの立場にありますが、リーダーとして求められることよりも、会社として、個人としてやりたいことが変わってきている印象です。
落合さんは経営者でもあり、研究室のリーダーでもありますが、いかがでしょうか?
落合陽一(以下、落合):
27歳で初めて研究室を持ちました。最初はお金が無くて苦労しましたが、熱心なメンバーたちが集まってきて支援してくれたおかげでやってこられました。
そういう意味で、フォロワーがいることはリーダーの一つの指標になると思います。
ただ、僕はよく雑用を任されているのでリーダー感が全くないですよ。

MCの齋藤、落合はどちらも経営者。企業の主として、メンバーの未来を背負うリーダーである。
今回のSENSORSは、MCの二人がゲストとともに「人生100年時代の次世代リーダー」像を紐解いていく。

以下、今回のゲストである朝倉祐介氏と前田裕二氏を交えたディスカッションが行われた。
30歳という若さでミクシィの代表に就任し、時価総額180億円から5,000億円に立て直す劇的なV字回復を達成し、現在はシニフィアン株式会社で共同代表を務める朝倉氏の自己紹介から話は始まる。

■ 「人生に後悔を残すほど悲しいことはない」--15歳で海外へ渡った朝倉氏の人生ストーリー

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--まずは、朝倉さんから自己紹介をお願いできますか?

朝倉祐介(以下、朝倉):
シニフィアンの朝倉です。
中学校卒業まで兵庫県で育ち、卒業したタイミングで競馬の騎手を目指し単身でオーストラリアへ留学しました。
もともと実家から阪神競馬場が近く、競馬になじみ深い環境にいたことも一つの理由ですが、何より先々の将来に希望を見出せなかったことが最大の決断理由です。

高校受験に向けて勉強をしている際に「なぜこんなにも一生懸命勉強しなければいけないのか?」と考えました。偏差値の高い大学に入学し、優良企業に勤め、社会的ステータスと高いお給料をもらうことに意義を見出せなかったんです。
それなら、自分が好きなことをやった方がいいだろうと。

結局騎手になる夢は叶いませんでしたが、帰国後に大学受験資格を取得できる専門学校に通い、20歳で東京大学に入学しました。
在学中にネイキッドテクノロジーを共同創業し、大学卒業後に外資系経営コンサルティング会社で3年ほど勤務した後、ネイキッドテクノロジーに復帰しています。
同社で代表を務めていた頃にミクシィから買収のオファーをいただき、そのままミクシィにジョインしました。
入社時は平社員でしたが、業績不振を立て直すために代表に就任しました。

--創業したネイキッドテクノロジーでも、買収先のミクシィでもリーダーを任されたのはなぜですか?

朝倉:
ミクシィに入って数か月のころから、会社の業績が厳しい中、こういう風に会社を変えていくべきではないかという提案書をまとめて、声の大きそうな社員に「お茶行こう」、「ランチ行こう」と片っ端から声をかけていったんです。
リーダーになることを目指していたわけではありませんが、目の前にある課題を一つ一つ解決していったところ「朝倉に任せる」と言われるようになったんだと思います。
私自身、過去に夢を諦めた経験があるので、そもそも変わることを恐れていません。買収されて入社した経緯から、組織にしがみついていたいとも思っていなかったので、大胆な判断ができていたのではないでしょうか。

また、騎手を目指していた経験は少なからず影響しているかもしれません。
調教師の先生から「騎手がリーダーシップを発揮しなければ馬は言うこと聞かないから、自分が指導する立場にあるんだという心持ちを持て」と常々言われていました。
齋藤:
そもそも15歳で騎手を目指し、単身オーストラリアに行くという意思決定ができる人なんて滅多にいないと思います。
朝倉:
その瞬間にやりたいことをやらなければ、悔いを残す人生になると思ったんです。
仮に失敗しても、挑戦したのであれば諦めがつきます。ただ、やらない後悔は一生残る。10年後、20年後に振り返り「本当は騎手になりたかった」と悔いを残すのが嫌だったので、猛反対する親を説得しました。

■ 不遇を言い訳にしない。逆境を力に変えた次世代のリーダー・前田裕二

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--続いて、前田さんお願いします。

前田裕二(以下、前田):
SHOWROOMの前田と申します。
過去の話をすると、8歳のときに両親を失い、1年弱住むところもなく放浪していたことがあります。その後親戚に引き取られたのですが、馴染むことができずにグレてしまい、ヒネくれた幼少期を過ごしていました。

誰に頼ることもなく自分の力で生きていきたいと考えるようになり、10歳で近所の駄菓子屋でアルバイトをさせてくれないかとお願いしにいきました。僕の人生で初めてビジネスと接点を持った出来事です。

アルバイトの時給の相場が800円だと認識していたので、成人の半分、10歳の自分を相場の半額の時給400円で雇ってもらえないかと話をすると、「見ての通りうちの駄菓子屋は、1時間あたり400円の売り上げもない。うまい棒を1時間に40本以上売らないと君のことは雇えない」と断られてしまいました。
そこからお金を稼ぐ手段を色々と試してみた後、11歳で路上に出てギターの弾き語りを始めたんです。最初は誰も立ち止まってくれませんでしたが、徐々にコツをつかんだ結果、一万円札を置いていってくれる方にも出会いました。
これが僕の立ち上げたサービス「SHOWROOM」の原点です。

--大学を卒業後、投資銀行を経て「SHOWROOM」を起業されています。創業までの背景を教えていただけますか?

前田:
そもそも進学するつもりはなかったのですが、親戚のお兄さんのすすめで高校に進学しました。
信用していた人の言葉だったので。そして高校生のころから、不遇であったことの反骨心から、たとえば英語を勉強してディベートの大会に出て帰国子女に勝つみたいなことをやってました。そして大学卒業後、投資銀行に就職しました。

投資銀行時代は2年目で海外赴任するなど、順調なキャリアを歩んでいたと思います。しかしそんな中、大学時代のバンドメンバーが亡くなってしまったんです。そこで強く死生観を持ちました。
自分のキャリアについて考えた結果、代替不可能な価値を世の中に生み出すべきだと考えたんです。

そこで会社を退職し、SHOWROOMを立ち上げました。ビジネスモデルのルーツは路上ライブの経験であり、路上ライブをインターネット上の仮想空間で再現しているんです。
自分の経験に紐づく事業を手がけることは、代替不可能性があると思っています。
齋藤:
苦しさや劣等感をベースに努力した経験が僕にもあります。
前田さんの進学や就職には過去の苦労が影響しているんですよね?
前田:
現時点で自分が成功しているとは思っていませんが、チャンスに恵まれなかった過去の経験が反骨精神を生み出し、ここまでやってこられました。

続く「リーダーに求められる能力とモチベーションの源泉」では、ゲストのお二人とMC二人が過去の経験を踏まえ、リーダーに求められる能力について議論した。
"スタートアップエコシステム"が整いつつある日本で、起業家たちが這い上がるための"モチベーション革命"にまで話題は及ぶ。

構成:オバラミツフミ

秋田県湯沢市出身。趣味は商店街を歩くことと喫茶店を巡ること。
Twitter:@ObaraMitsufumi
Mail: obaramitsufumi[アット]gmail.com


編集:長谷川リョー

SENSORS Senior Editor
編集者・ライター。リクルートホールディングスを経て、独立。修士(東京大学 学際情報学)
Twitter:@_ryh
Mail: ry.h0508[アット]gmail.com

カメラマン︰松平伊織

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