「人工知能」トップランナー松尾豊氏に聞く 【後編】次の1000年紀のための人工知能を目指して

2015.09.16 10:30

IoTやビッグデータのトレンドを受け、いままた可能性が注目される「人工知能(Artificial Intelligence)」。1956年〜60年代の第1次ブーム、1980年代の第2次ブーム、そして我々が今再び「人工知能」に注目しているのは第3次にあたり、機械学習の新しい手法「ディープラーニング(深層学習)」がその核心にあるという。 改めて、現在の「人工知能」の可能性、来たる未来の社会像、テクノロジーと倫理の関係性を人工知能研究のトップランナーである東大・松尾豊准教授に伺った。(【前編】ディープラーニングを理解するための人工知能Sと人工知能D

■生命でない人工知能は"目的"を持たない

【前編】では、ディープラーニングが"基礎工事"であることや、人工知能そのものをDisruptive/Sustainableに分けて理解することが肝要であると語られた。
【後編】でより人工知能の本質に迫っていくほど、「人間とは何か?」という深遠な問いを突きつけられることになる。

東京大学 工学系研究科 松尾豊 准教授

--ディープラーニングは変数設定というか、問題設定そのものもできるようになるということですよね。そうすると、よく言う「テクノロジーによって人間の左脳的な機能は代替されるけど、右脳的な機能は代替されない」という通説は崩れるということですか?アートやデザインも含めて。

松尾:
デザインやアートの場合、何が良くて何が悪いって判断するのは難しいですよね。それが例えば、クリック率の高いデザインというように何らかの形で定義できるのであれば、今でもA/Bテストで出来ますよね。これはどちらかというと既に実現できている人工知能S(Sustainable)の話だと思います。
ただ、右脳、左脳という言い方はちょっと気をつける必要あるかと思います。脳の中に言語を司る部分をはじめ、さまざまな機能が局在していることは確かなんですが、それをざっくり左脳とか右脳というのは、あまり科学的には正確ではないと思います。

--いわゆる「トローリー問題」(※ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?)のような倫理的な問題に対して人工知能自身で判断して行えるようになるんですか?

松尾:
いや、ないと思います。整理すると、目的を与えたときに適切に世界を分節し、手段を考えるのは人工知能ですが、人工知能自体に目的はない。では、なぜ我々人間は目的を持っているか?これは生命だからです。生命は生き残らないといけないので、自己保存や子孫を残すこと、仲間を助けることなどを目的にしています。それを知能をうまく使うことで達成しているわけですね。人工知能は生物ではないので、こういった目的を持っていない。

--それは「シンギュラリティ(技術的特異点)」が仮に訪れたとしても、映画で描かれるような破滅的な世界にならないという先生の見解にもつながっている?

松尾:
ええ。仮に人工知能が自己複製するようになっても、生命的な性質を帯びるシナリオは極めて考えにくいと思いますが、たとえそれがあり得るとしても、それよりも先に人間が悪用する世界の方が絶対に先に来るわけです。例えると、飛行機ができたばかりの世界を仮定しましょう。飛行機を知らない世界の人間は飛行機を使ってアフリカからライオンやサイなど獰猛な動物が日本にやってくると怯えるかもしれません。もちろん、その可能性がないわけじゃないけど、動物が「知らない間に」乗ってやってくるというのはほとんどあり得ない。それより商業の発展や観光ビジネスの可能性、あるいはハイジャックが起こるかもしれないことなど、現実的な問題を考えることが必要ではないかと思います。

--ディープラーニングで人工知能がどれだけ進化しても、前提として人間が持っている欲求や目的を無視すると単なるSFのようになってしまうということですか?

松尾:
そうです。だからほとんどのSFも知能と生命を混同していると思います。感情を持つということも、生命としての進化の過程から生まれているわけです。生きることにプラスなことは嬉しいし、そうじゃないことは悲しい。特に人間は社会的な動物なので、人が嬉しいことは自分も嬉しいというふうにお互いに協力し助け合うようにうまく作られています。人工知能が発達すれば、この人は嬉しいとか悲しいっていうのを判定できるようになったとしても、それと本質的に感情を持っていることはおそらく違うことですよね。

■人間の倫理観を抜きにして、人工知能は語り得ない

--最近Facebookにしても顔認識の精度すごいですよね。今ある監視カメラがネットワーク化されたら、一気に犯罪の検挙率は上がっていきますか?

松尾:
そうですね。今はもう全然間違わないんですね。Googleの最新の研究では、顔認識の精度が99.63%で、ほとんど間違えません。間違える例をみても、人間でも見分けられないくらいになっています。当然これを監視カメラに応用することもできます。そうすると何が起こるかというと、犯罪が極端に減る可能性があります。誰がいたのかはもちろん、誰かがけんかをしそうだといった挙動も分かるので、すぐに駆けつけたり、犯罪や事故を減らすことは技術的に可能だと思います。

--あとは法整備や倫理観の問題ですか?

松尾:
監視カメラを付けることが気持ち悪いと思う人もけっこういるでしょう。ここらへんはよく議論していく必要があるのではないかと思います。例えば、夜中に車が全く通ってない5mくらいの道路を、赤信号なのに渡ってしまった。これを本当に取り締まるべきことなのかというのは議論の余地があると思います。極論すると、人間の「臨機応変に対応する権利」や「大目にみられる権利」など議論しなければいけないことは多いです。

--最近ではあらゆるデータが取られるようになってきています。常時データを溜めながら、ネットに接続しておけば賢くなっていき、まさに人間を代替してしまう「トランスヒューマニズム(超人間主義)」のような議論もあります。そうなると今後はより一層、宗教、道徳・倫理といったことが求められていくのでしょうか?

松尾:
そうですね。人間らしさを突き詰めると、結論は"協調"、"他者理解"、そして"共感"といったところになると思います。チンパンジーなんかでも自分の得になる場合では助けることもありますが、人間のように自分から助けることはない。人間は平等を求める本能や文化があり、ズルい奴がズルいことをするのを許せないんですね。だけど可哀想な人は助けたいと思う。しかも基本的には相手を信頼しているから、貨幣による経済活動が成り立ち、社会が形成されている。"人間らしさ"ってこういうところにあるのではないかと思います。なので我々はこういう社会を作っていきたい、維持していきたいということを先に考えて、それを作るための人工知能という考え方が大事なのではないかと思います。

■︎1,000年後、人工知能なしで人類は生き残れるのか?

松尾:
ところで、1,000年後に人類は生き残っていると思いますか?今の科学技術の進歩のスピードはすさまじく、わずか100年前でも全く違う社会でした。このスピードがますます早くなっている。環境やエネルギーの問題を考えても、1000年間このまま発展し続けるのは厳しいのではという気もしますよね。しかし、仮に人類が1000年後に戦争や悲惨な状況なく、文明を営んでいるとすれば、人工知能をうまく使っているのではないかと思います。人間はこういう生き物だから、こういう社会をみんなで作ろうというのを考えた上で、それを実現するために人工知能が使われているというシナリオです。人工知能の技術の進展のなかで、倫理観や「人間とは何か?」を考えることは非常に重要だと思っています。そして、人工知能は徹頭徹尾、人間のための人工知能であるべきです。

--その1,000年を下って行く際に、人工知能が高度化していき、あらゆるものが代替されていくと思います。そうすると、意外に最後まで残るのは哲学者や倫理学者だったりするんですか?人間にしかできない職業ってあるのでしょうか?

松尾:
難しい質問ですが、人間はやっぱり働きたいし、誰かの役に立っていることが幸せなのだと思います。いくら人工知能が代替できるとはいえ、自分が何かの役にたっていると部分は必要だと思います。働きがいや生きがいというのは、人間らしさの重要な一面だと思います。

--人工知能に代替されていく部分があるとはいえ、人間がまた新たな進化を遂げる可能性もないことはないと思います。人間の能力が変わっていく可能性はありますか?

松尾:
技術の発達からすると1,000年はとてつもなく長いですが、進化の歴史からすると1,000年は一瞬です。人間が生物として能力を伸ばすのは時間的には厳しいですよね。ただ、教育や社会システムは変わるでしょう。そして、人間が社会的な動物であることを考えると、人とのコミュニケーションは大事で、サービス業的な仕事はずっと残ると思います。

■︎「人工知能」研究とは、人とは何か?社会とは何か?を考えること

--リチャード・ドーキンスがいう「ミーム」(文化的遺伝子)の話に関連して質問させてください。人類の歴史をみると、その時代ごとの天才たちの叡智によって知性が上書きされてきた側面があると思います。ですが、そうした天才が何人いるよりも本当に高度な人工知能が一つあった方がより効率的に知性はアップデートされていくと思っていました。ところが著書の中では人工知能にも寿命があるべきだと書かれていました。この辺り、少し詳しく伺えますか?

松尾:
人間や生物には寿命がありますが、別に死ぬ必要はないですよね。細胞は何回細胞分裂してもいいですが、老化していく仕組みになっています。それによって、生物の各個体が死んだ方がいいのは、種として環境の変化に対応しやすくなるためだと思います。知能も似たような面があるのかもしれず、環境の変化に適応するために、いったん積み上がった概念を下から再び修正するよりは、最初から作りなおしたほうが良いということもあるのかもしれません。

--死ななくなるというのは、再生医療も含め、物理的に?

松尾:
ええ。具体的な時期は分かりませんが、けっこう早いんじゃないかという気がします。生殖活動に関しては、死んだら産んでもいいみたいな定員制になるかもしれないですね。

--先ほどの説明で、人工知能をDisruptiveとSustainableに区分けされていましたが、本当は厳密に言葉を分けるべきなんでしょうか?現状、「人工知能」というビッグワードに右往左往してしまっている感が否めないというか。

松尾:
分けた方がいいと思います。なぜ分ける必要があるかというと、産業における戦略がかなり異なるからです。日本にとって産業的なチャンスが大きいのはDisruptiveの方なんです。Sustainableの方はデータを集めることが重要ですから、Google、Facebook、Amazonなどグローバルジャイアントが強く、いまから日本企業が立ち向かっていくのは難しい。けれども、Disruptiveの世界は、認識そして身体性につながる発展で、カメラやセンサ、ロボットや製造装置、建機や農機などに統合された形で製品化され、製造業にとってチャンスが大きい領域なのです。

--今後、人工知能というのは義務教育的に誰もが学んでいくべきなのか、それとも一部の技術者は抑えた方が良いのか。どれくらい勉強するべきものなのでしょうか?

松尾:
少なくとも、今後、製造業にとって大きなチャンスを迎えますから、製造業には関わる技術者の方には知っておいてほしいと思います。また、一般の人にとっても、人工知能を考えることは、人間ってなんだろう、社会ってなんだろうと考えることでもあるので、面白いですよ。最近、映画監督やアニメのクリエーターなんかとも話す機会が多いのですが、技術の現状と可能性をしっかり分かってもらった上で作品を作ってもらうと、すばらしい作品ができるのではと思っています。技術の蓋然性の上に、人間の生活や社会がこうなったらいいんじゃないかという未来を描いてほしいと思います。

"ディープラーニング"という機械学習の手法が発見されたことで、人工知能研究にブレークスルーがもたらされ、第三次人工知能ブームが脚光を浴びている。
テクノロジーが飛躍的な進化を遂げるとき、我々は同時に「人間とは?」「社会とは?」という本質的な問いに立ち向かわなければならない。
松尾氏がいう「人工知能なくして、人類の次の1,000年はない」。
その未来を思い描き、創り出すのは我々人間に他ならない。
【前編】ディープラーニングを理解するための人工知能Sと人工知能D

取材・文:長谷川リョー

1990年生まれ。フリーライター。これまで『週刊プレイボーイ』『GQ JAPAN』WEBなどで執筆。「BOSCA」編集長。東京大学大学院学際情報学府在籍。@_ryh

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