アートとインターネットの良好な関係性 アートプラットフォーム「Startbahn」

2016.05.18 12:00

現代美術家として活動する施井泰平氏が立ち上げたインターネットでアートを買い付けることが出来るサービス 『Startbahn』。国内外でも例を見ないインターネットを活用したアートプラットフォームとしてのこのサービスは、現代の情報社会の中でのアートの立ち位置を、同世代のアーティストとして活躍する人びとはもちろん、我々のような一般ユーザーを巻き込みながら模索していくためのプラットフォームとして構想され、12月にローンチされた。

今回そのサービスについてインタビューをする中で、施井氏のもつ「手段としてのインターネット」という視点が浮き彫りになった。インターネットをツールとして捉え、能動的に使っていくということ、芸術としてのアートにとどまらない情報化時代を生き抜く術とは。

◼︎アートは「実物を見ないとわからない」。その常識がくつがえってきているのではないか

私たちが「アート」と聞いた時、まず思い浮かぶのは美術館など厳かな雰囲気の中で鑑賞するものという印象だ。知識なしでは「アートを買う」ということは許されないとすら思ってしまうのではないだろうか。しかし「ものを買う」という点に着目すれば、誰もがECサイトを使って家電や服を選ぶなど「本物を見極める目」は確実に養われてきている。施井氏によれば、アートにもその潮流が着実に起こっているという。

startbahn代表の現代美術家 施井泰平氏

施井:
10年以上前から、世界のアートのコレクターと言われる人たちは、メールのやり取りだけで何億とするアートの買い付けを行っていました。彼らにとっては、アートの価値はいくつかの作品を自分の目で直接見て、文脈の把握さえ出来ていれば、あとの作品はメールに添付された画像を見て判断できるんです。その感覚はアートに馴染みのない人でも、ある程度経験があることだと思います。例えば今自分にとってお気に入りのファッションブランドの服は、いくつか実際にお店で見て、試着をする中で似合う、似合わない、肌触りが気に入る、など自分の中の価値基準ができていくことで「お気に入り」になっていく。結果としてネットでもそのブランドの服であれば、画像を見るだけでその服が今自分が欲しいものかどうかがわかる。それと同じなんです。生のものを一度でも見て雰囲気をわかっておくと、ネットで見ても雰囲気がわかる。実は「アートに馴染みがない」と思っているのは単なる思い込みで、その価値基準を手に入れるハードルはどんどん下がってきているんです。

◼︎︎今アートと呼ばれているものは、本質的にはアートではない

−たしかに、昔から美術館に足を運ぶ機会と言うのは少なからずあります。しかしそこで見るアートはなんだか遠くにあるもののような気がして、「アートを買う」ことをしている自分を想像するのが難しいと感じてしまいます。

施井:
それにはアートと呼ばれているものの価値の捉え方があやふやなものになっていると言うことがあると思います。
なぜアートそれ自体が価値になるのかというと、「その時代の雰囲気や誰も気づいていない変化を、独特な形で切り取っていた」からだと言えます。例えばマルセル・デュシャンの『泉』という作品は「レディ・メイド」といって、既製のありふれた男子用小便器に架空の作家の簡単なサインを書いたものを美術館の展示会に出品したところ、それがアートであるか否かを巡って大論争を引き起こしました。これは近代の機械による工業化の流れの中で、「ものを作る」ということが人の手から離れて行ってしまったという時代背景を巧妙に捉えていたからでした。このように、アートは常に時代の雰囲気、とくに技術の進歩と密接に関わっており、それらが急速に広範囲に発展する今の時代においてはその全貌を把握できている人がいないということがあるのかもしれません。
しかし逆をいえば、とあるアーティストが自らの置かれている時代の雰囲気を己の技によって表現した時、そこには何かしらの議論が起こるはずなんです。これはアートか、アートでないかということはもちろん、それが何を表しているのかということを、受け取る側は議論をする必要がある。つまり議論されて初めてアートであり、その意味では今現在「アート」と呼ばれているものはそれまでにそういった議論の場に置かれ、一定の評価をされたものたちということになります。

--本当に今の時代を表しているアートは、もしかしたらまだ誰も見つけていないかもしれない。そしてその価値は様々な人の目に触れ、議論されることで決められていくということですね。

施井:
その意味で、美術館やギャラリーはこれまで議論の場にさらされ、十分にアートたり得ると判断されたものを収蔵し、そのクオリティを担保するための装置であると言えます。その結果美術館で見るようなアートには、手の届かないものという印象を受けるし、実際普通の人から考えれば想像もつかないほどの値段が付いている。そこではそれらにまつわる歴史が「美術史」という名前で研究され、美術館そのものが歴史の証人になっているという構造があります。その構造が長かったために、美術館自体の権威が一人歩きしているという現状があるかもしれません。

--よく芸術とは何かについての論争が起こるとき、「美術館にふさわしくないものはアートではない」といった意見が出ることがありますが、順番が逆なのですね。

◼︎現代美術家が思い描く、インターネットとアートの良好な関係性とは

施井:
もともと美大で油絵を専攻していて、テクノロジーとは無縁のアナログな画家だったんです。20年近く前になりますが、美大を卒業してアーティストとして生きて行くうえで、社会の中で一番大きな課題と長く向き合っていける人間になりたいと思ったとき、そこにあったのはインターネットでした。インターネットに呼応した時代の課題をうまく表現したものを作れば、自ずと時代として価値のあるものが生まれるのではないかと思いました。いわゆるベンチャーの人のようにプログラマーとして始まったというわけでもないし、メディアアーティストのように工学の分野から出てきたわけでなく、アーティストのひとりとして始まっていて、世の中が変わっていくことのひとつとしてインターネットがあった。

はじめはインターネット上で興したプロジェクトなどを美術館に持ち込んで、美術館の中のパソコンで展示する、ということをしていたのですが、あまりにも来場する人々の反応が薄かった。そこで美術館という場においては、美術のセオリーに則ってインターネットを表現しなければならないと思ったんです。その結果として生まれたのが『IT』でした。文庫本の背表紙とスチロール板で作ったパーツを大量にカンバスに貼り付けて、インターネットにおける情報の反乱や、物質の価値の変容、整理されるアーカイブなどの側面をあくまでアート的に表現した作品なのですが、それと同時期にインターネットという場においてアートを取り扱うプラットフォームとして作ったのが『Startbahn』でした。

『IT』

--美術館には美術館のやり方で、インターネットはインターネットのやり方でアートとインターネットの関係性を模索していたと言うことですね。皆が当たり前のように利用するインターネットを題材として、一歩引いた視点で取り扱うにあたって、そのもの自体が持つ活かすべき特性もあったのでしょうか。

施井:
インターネットにはその設計段階から「脱中心」というメカニズムが構想されていました。ユーザー一人ひとりが発信するホストとなって、情報という価値をやり取りする。それはインターネットが登場する以前にあった、新聞やテレビといった「中心」となるメディアから情報の価値をよりユーザー側に引き寄せ、その権威が相対的に下がっていくという結果をもたらしました。Startbahnは、その流れをアートの世界にも起こすことを一つの目的としています。アートという価値が美術館やギャラリーという「中心」から、よりアーティスト自身、そしてそれを享受するコレクターや批評するレビュワーの手によって流通し、議論され、それ自体の価値を上げていく。まさにインターネット上のプラットフォームとなっているんです。

--つまり、Startbahnがあれば、美術館はいらなくなるということでしょうか。

施井:
美術館やギャラリーは美術史の象徴、権威としてそのまま残っていてくれる方がありがたいんです。極端な話、ユーザー誰もが権威を持つ直接民主制のような仕組みは今の時代の人間には無理だと思っています。この世のすべてのアートの中から、1%がきちんと審査された上で美術館に収蔵される。そこでstartbahnは美術館が拾いきれなかった99%のアートを包括して、議論の場に引き出してあげる。最初はstartbahnで出品されていたアートが、さまざまに議論を引き起こし、結果として美術館やギャラリーに収蔵されるというストーリーができれば、それがもっとも望ましい形と言えるでしょう。

−全く同じ現象がメディアの世界でも起こっている印象を受けます。Twitterなどで話題になった人やモノが、テレビで紹介されるという構造は容易に想像できます。なぜアートの世界ではこれまでそういった場がなかったのでしょうか。

施井:
これまでのインターネットの構造が、時間をかけて議論され価値が高まっていくアートの特性とあまりそぐわなかったということがあると思います。例えば「いいね!」の数やPV数、ランキングというその場、その時点でのユーザーの人気を示す数値はユーザーが受動的である場合とてもわかりやすい。これまではそういったモノがインターネットの評価軸になっていました。しかしインターネットの登場から20年が経ち成熟期に入る中で、ユーザー側の「本物を見極める目」がだんだんと培われているのを感じます。受動的なユーザーの多いインターネットで話題になるための攻略法が編み出されていることにユーザー自身も気付き始めている。ネットに溢れるさまざまな情報を吟味し、ユーザー一人ひとりが自分の中に評価軸をきちんと持つようになるということは、アートがネット上で長く議論されていくために必要なこと。今はまさにそのスタート地点と言えるのではないでしょうか。

startbahn artistステータス画面

Startbahnでは、ユーザーはアーティスト、レビュワー、コレクター、という三つの属性に振り分けられる。時代の雰囲気を切り取り、限りなく0に近い状態から1を生み出すアーティストの他に、誰よりも先にアートにレビューする人、誰よりも先に買った人が評価される仕組みになっている。絵を描く技術はなくとも、作品を見つける技術がある、広める技術があるなど、そういった力もアート的だ、と施井氏は語る。同じ時代に生きる誰もがその雰囲気を感じ取り、startbahnの中で「アートであるか否か」について盛んに議論をしていくことは、人々のこの世界に対する解像度をあげる好循環を生むことになるのではないだろうか。
まずはStartbahnに登録し、今の時代を生きるアーティストが何を表現しているのかを見定める。その能動的な一歩が求められている。

https://startbahn.org/


取材・文:兵藤 友哉

1995年生まれ。フリーライター。早稲田大学文化構想学部表象メディア論系在籍。専らの興味は「メディアテクノロジーの進歩による人間の認知の更新」。SENSORSでは「VR」「ドローン」の記事を担当。
Twitter @do_do_tom

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