鑑賞する芸術から"体験する芸術"へ。「TodaysArt.JP TOKYO 2015」レポート

2015.10.03 13:00

2005年にオランダのデン・ハーグで誕生し、今年で11年目を迎える先端アートの祭典「TodaysArt」。2014年に行われたパイロット版のイベント「TodaysArtJP:Edition ZERO」の成功を機に、2015年に入り日本でも東京、神戸と二都市開催で本格始動。東京は天王洲の「T-Art Gallery」をはじめとする寺田倉庫本社周辺施設にて、9月3日から18日まで開催された。

「TodaysArt」はArt,Music&Technologyのコンセプトの下、分野は建築、宇宙技術までと幅広く、世界的なアーティストから、新進気鋭の次世代を担うアーティストまでが一堂に会し、インスタレーション、ライブパフォーマンス、トークショーなど、様々なプログラムを街にインストールし、都市の文化促進を目的とするプロジェクトである。ここでは9月3日から15日まで開催された「TodaysArt.JP TOKYO 2015」で展示されたインスタレーション作品の中からいくつか、鑑賞者の知覚、認識に強く訴えかける作品を紹介していく。(画像提供:TodaysArt)

■環ROY | Tamaki Roy [JP] "Types"

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提供:TodaysArt

四方をマジックミラーで囲われ、中から外の景色を臨むことができない部屋で、ラッパー環ROYがリアルタイムに創作し演奏するサイクルを繰り返す様子を観察できるインスタレーション作品。それは、誤解を恐れずにいうとするなら、まるで動物園の檻の中にいる動物を観察するかのような構図である。

そんなある種ものものしい光景とは裏腹に、友人であり、共にライブを行うラッパー仲間でもある鎮座DOPENESSもこの作品に参加しており、部屋の中で外を全く意識せず、リラックスした状態で音を作り、踊り、喋る彼らを見て、観客がまず最初に抱く観念は「自由」である。「優れたパフォーマンスは、パフォーマンスを意識しない状態に肉薄していくこと」という環自身の主張が体現されているのだ。

彼らのおどけたキャラクターも手伝い、団欒する様子にふと笑みがこぼれてしまうように思えるが、観客は次の瞬間あることに気づく。この観客をシャットアウトした構図は、自由なパフォーマーから生み出されるべきであるはずのこの世のあらゆる創作物には、観客の存在によってその自由が奪われてしまう可能性があり、また現状の世の中に溢れている創作物の大半が、観客の存在によってその価値を規定されているということを暗に示している。

常日頃ポピュラーミュージックの担い手として、ライブというメディアを介して観客に相対している環が、アートインスタレーションというあらたな方法で彼自身の創作活動の枠組みを示す、意欲的な作品だ。

■Norimichi Hirakawa[JP] "the indivisible (prototype no.1)"

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提供:TodaysArt

プログラムによってリアルタイムに生成された映像と音声を広く暗い部屋の壁に投影した映像音響インスタレーション作品。観客が部屋に足を踏み入れると、その視界いっぱいに広がる映像と大音量のノイズに圧倒される。目の前にある映像や音声には、なにかの意味があるのだろうか、と多くの観客はしばらくの間踏みとどまって考える。しかし、そこにあるものが理解不能であるとわかった瞬間に、一つとして同じパターンのない光の明滅や、耳を一方的に侵食するノイズが、逆に観客自身が内包する空白の部分をさらけ出し、それらを心地よいものとして受け入れることができるようになる。

この作品における映像とノイズは、

1、コンピュータ・プログラムに、意味のある計算をさせること

2、その計算過程に現れる数値のみを使って表現すること

3、ただし、計算対象を、その対象そのものとして表現しないこと

この三つのルールに従って生成されている。

これはデビュー当時からプログラミングを表現手段として用いる平川が、人間の見る世界と、コンピュータの見る世界、どちらが本物の「世界」なのかという根源的な問いを投げかけるためのルールでもある。人間の脳は物を数える時、その対象に含まれる"意味"を主観的に判断する。それに対しコンピュータは、対象がリンゴであっても、人であっても、「物を数える」という与えられた役割以上の仕事をせず、その結果は100%客観的な判断として人間に利用される。例えばコンピュータは、自然科学の分野において、この世界を構成する質量や速度、力場などの物理法則を扱ってきた。世界を明らかにするための道具として使役されてきたのである。

この作品は、そんな世界を明らかにするための道具が吐き出す、彼らにとっての「世界」の表象を提示し、目の前の世界を当たり前にあるものとして捉えてしまう人間の安易な認識に問いかける。「この世界は本当に人間がみたままの姿をしているのか?」という新たな視点を想像させる可能性を秘めている。

■Wolfgang Bittner [DE] + Lyndsey Housden [UK] + Yoko Seyama [JP] + Jeroen Uyttendaele [BE] "Plane Scape"

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提供:TodaysArt

分厚い遮光カーテンをくぐり、真っ暗な部屋に入ると、一台のプロジェクターから投影された光が三次元空間上で星空のような像を結んでいる様子が目に飛び込んでくる。暗闇に慣れ、目を凝らしてみると、そこには無数のゴム糸がピンと垂直に張られた状態で規則的に並立し、そこに投影された光がゴム糸を媒質として光を発しているのだということがわかる。それ自体でも十分に美しく、作品として完結しているように思えるが、この作品の最大の特徴は、そのゴム糸の林に、鑑賞者自らが足を踏み入れることができるという点だ。人間が通れるギリギリの感覚で並ぶゴム糸に手をかけ、それらをかき分けるように踏み込んだ鑑賞者は、自らを取り巻く光の運動に惑わされ、平衡感覚を失うかのような錯覚をも起こすことになる。

日本においてもすでにその名前が広く浸透し、多くはエンターテイメントの一種として認知されているプロジェクションマッピングだが、メディアアートの文脈においてそれは、二次元から三次元への表現方法の移行と、その挑戦の歴史としてとらえられる。"Plane Scape"においては、ゴム糸をその媒質に選んだ点、それらが垂直に並立する点、またそこに侵入していく人間の身体性の再認というテーマを内包する点など、建築家やパフォーマー、映像作家といった様々なバックグラウンドをもつアーティストたちがコラボして制作されていることもあり、昨今のプロジェクションマッピング作品の中でもとくに多層的に観客の感受性に訴えかけることを可能にしている。

人間の手で容易に形を変えられることのできるゴム糸を、数にして800本、無秩序にでなく、垂直に、等間隔に並べて配置することで、鑑賞者がその空間に侵入することを促し、またその間隔を64センチメートルという、人間工学において規定される人間が通れる最小の単位にすることで、鑑賞者に「かき分ける」という動作を促す。もちろんその動作によってゴム糸が変形させられるため、投影される光の位置も変わる。ゴム糸一本一本を『Plane Scape』を構成する画素だとするなら、人間というモジュールの侵入によって800ピクセルの世界が破壊され、その風景は複雑な無限の広がりを見せることになる。また侵入した人間もその動作によって自らの身体の境界を認識させられながら、投影される光の運動によって平衡感覚を失い、自らが入り込んだ世界が揺らぎ、不確かなものへと変貌していく体験をすることになる。

メディアアートというものが、人間の住む世界を正しく記述するためにアーティストがさまざまな手法を用いて日夜挑戦している様を切り取ったものだとするなら、この『Plane Scape』は三次元投影という表現手法においてもっとも正解に近い作品かもしれない。

■Kimchi&Chips [UK/KR] "LIGHT BARRIER 2nd EDITION"

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提供:TodaysArt

円形のくぼんだ鏡を無数に組み合わせ構成された巨大なオブジェに、数台のプロジェクターから幾何学模様を投影し反射させることで、空間に無数の光線を照射し、それらが交差することで光の"うねり"をスモークの充満した空間に映し出しているインスタレーション作品。金属の集合体と、プロジェクターから投影される幾何学模様そのものは鑑賞者に無機質な印象を与えるが、距離をとってこの作品に向き合うと、そこに生命が宿っているかのような有機的な"うねり"を感じずにはいられない。

光は空間において、その行為が限定されるあらゆる物質と非連続的なものである。物質と比べて圧倒に自由な光の粒子は、レンブラントや印象派の画家たちをはじめとして歴史上の多くの芸術家を魅了し、彼らをしてその表現を追求せしめてきた歴史がある。韓国を中心に活動するアーティストデュオ、Kimchi&Chipsはそんな光の質感と、またそこに光があることで自覚させられる時間の痕跡を、新たな形で示さんとしている。

オブジェを構成する鏡一つひとつが、投影される光線の軌跡を反射し細胞のごとく蠢いているように感じたり、また空間に反射している、時おり無数に集合して強い光を放つ光線が、なにか人智をこえた精霊のがそこにいるかのような印象を与えたり、無機/有機の境界線を越える体験を鑑賞者に与えてくれる。

■「メディアアート体験」を提供する場として、ハイレベルな展示会

メディアアーティストの草分けであるジェフリー・ショーによれば、メディアアートとは、鑑賞者とアートそれ自体の間にある四次元空間に形を与え、それによって、鑑賞者の知覚や感覚を刺激し、覚醒させることができるものであるとされる。つまり、メディアアートにとってもっとも重要なファクターは、アートそのものと鑑賞者が同じ空間に存在し、鑑賞者自身がそれを五感をフルに使って「体験」するということである。今回の「TodaysArt」は、「メディアアート体験」を提供する場として、そのバランスのとれたキュレーション能力や会場の構成など、非常にハイレベルな展示会であったと言える。入場料も格段にリーズナブルで、「敷居が高く、とっつきづらい」と評されることの多い日本の芸術シーンの常識を覆そうという心意気が見受けられた。2014年のプレイベントを皮切りに、日本では今年が初めての開催ではあるが、来年以降も引き続き開催されることが期待される。

取材・文:兵藤友哉

1995年生まれ。フリーライター。早稲田大学文化構想学部表象メディア論系在籍。テクノロジーを用いたアート表現を目下のところ勉強中。Twitter @do_do_tom

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