DJ KOOが語るキャリア論・個性の引き出し方--TRFとしてのデビューから今に至るまで

2016.08.25 17:00

最近ではバラエティ番組での活躍も著しいTRF DJ KOO。TRFとして1993年にデビュー以来20年以上、さらにDJとしてのキャリアは30年以上を数える。そのキャリアで培った、DJとしての自らやボーカリストの個性の引き出し方とは?

夏フェス「a-nation」のPR大使や、様々な所属アーティスト同士の個性的な企画を行う「avex management学園」の"KOO長"としてなど、後進アーティストのための活動も精力的に行うDJ KOO。
TRF(当時trf)としてのデビュー当時、まだなじみのなかったDJという職業をどのように認知させていったか、ボーカル・YU-KIの声をどのように引き出すか、後輩アーティストとの接し方の変化など、これまでのキャリアを通して得た様々な経験を語ってもらった。

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■DJという職業をどうお茶の間に浸透させるか

クラブイベント「TK TRACKS NIGHT」でのDJとして声がかかったことがきっかけで、小室哲哉による新たなユニット・TRF(当時trf)のDJとして活動を開始することとなったDJ KOO。ただ、デビューした1993年当時はDJという職業が今ほどお茶の間に浸透していなかった時期。DJという職業を認知してもらうためには様々な工夫があったという。

--DJという職業を、特に、尺の限られた歌番組等を通しお茶の間に認知させていくには、どのような工夫をされたのでしょうか?

KOO:
それまでの歌番組といえば、バンドが演奏してボーカルが歌っていることがほとんどですよね。そんな中DJの仕事をどう伝えたらいいのか...。DJって、ワンパート60〜90分で魅せる仕事じゃないですか。小室さんも「大変だと思うんだけど、1曲で魅せることを考えてみてよ」と。存在感を出す為に髪をドレッドにしたりもしましたが、「後ろの人は何をやってるんだろう?」とは散々言われましたし(笑)、それを説明するのも大変でしたね。

--キーボードを弾いたり、バックコーラスをしたりということも多かったですよね。

KOO:
これも、存在感を見せるためですね。やっぱりDJの仕事を一曲だけではなかなか表現しづらいんですよね。DJがキーボードを弾いているなんて見たことなかったですが、ただ小室さんも普通に弾けばいいところをあえて派手に、キース・エマーソンのようなプログレッシブロック仕込みの弾き方をしてファンの方を楽しませていたじゃないですか。そういう姿を見て、それまでは「DJがやるもんじゃない」と思っていたんですが、魅せる為に色々パフォーマンスしてみようと。元々ギタリストに憧れて音楽の道へ進んだので、ギタリストがギターを破壊する様に憧れて、東京ドームでのライブでキーボードの破壊もしたりしました(笑)。
また、DJブースを要塞のようにすることも美学でした。1994年、(アナログレコードではなくCDでDJが出来る)「CDJ」シリーズが発売されたんです。一曲のパフォーマンスには何台も必要なくても、この最新機種も4台位ずらっと並べていました。
1995年元旦にリリースされた「CRAZY GONNA CRAZY」MV。CDJなどが並んだ当時のDJブースの様子が分かる。

--そういった試行錯誤を経て、徐々にDJとしての本分を出せるようになった時期はいつ頃ですか?

KOO:
2000年代、TRFが活動休止した時期があったんですが、その時期にしばらく離れていた現場でのDJをやり出しました。当時は渋谷にFuraがあったり、atomが出来始めた頃ですね。現場を離れていたので、何がヒットしているか正直分からず、恥を忍んで後輩から「最近ヒットしてるやつを20曲ぐらい教えて」と教えてもらっていました。その頃はSoundCloudのような情報収集する術も今程なかったですからね。しかも当時はTRFという看板を出さずにやりたいと思っていて、あえてDJブースを暗くしてやっていました。今考えると、それも違うんですけどね(笑)。DJの現場と、TRFとしてのパフォーマンスは最初切り離していたんですが、a-nationに毎年出たり、TRFの20周年ライブをやった頃から、現場とTRFとしてのライブの感覚が一致しはじめてきたんです。「現場のこの感覚はa-nationに持っていってもいいな」と。
今はバラエティ番組にも出演させてもらっていますが、テレビでもDJプレイにもスポットを当てて頂けるようになりました。これはDJを始めて(TRFとしての活動以前のキャリアも含めて)35年ほどDJをやってきて初めてです。もちろんバラエティ番組で1〜2分でDJの魅力を伝えるのは難しいのですが、とにかく新しい機材を揃えて自分なりに派手にパフォーマンスしていこうと決めています。ラップやMCも、新宿のディスコで30年以上前からやっていたことの延長にあると思っています。
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■DJ KOO流"才能を引き出す"術

--DJとしての役割としてはもちろん、TRFのサウンド面を司る存在であるDJ KOOさん。YU-KIさんのレコーディング時にボーカルディレクションも20年来担当されていますよね。ボーカリスト・YU-KIさんの声をどう引き出すか、という面で意識されているポイントはありますか?

KOO:
活動が始まって以来ずっと小室さんのスタジオに出入りしていたのですが、小室さんが新たにスタジオを作って、何個ものプロデュースワークが同時に動くようになりました。その中で、曲の仕上げを「投げてくれる」ようになったんですね。YU-KIと毎日のようにスタジオで作業をしている中で、長くやればやるだけ、声がつぶれずにむしろ良く出るようになるなと気づいたんです。そこで、喉があたたまってくる時間などをメモしながら進めていくようになりました。
ディレクションとは、歌う側とディレクションする側がお互い預けられるかどうか。「そのフレーズ、もう一回」と言った時にどこが悪かったのか、説得できないとボーカリストも預けられないですよね。どれだけボーカリストにとっての環境をつくってあげられるかが大事ですし、「こういうところまで考えてやってくれているんだ、KOOちゃんが言っているならいいんだな」と思ってもらえるようにやっていかないといけません。
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--YU-KIさんの声が一番ハマったなと感じた瞬間はありますか?

KOO:
「WORLD GROOVE」のレコーディングですね。この曲はテーマがすごく大きくて重くて広い。でも沢山の言葉をリズムよくはめていかないとノレない。YU-KIは何度ライブで歌っても、レコーディングの時のグルーヴ感で歌ってくれるんです。小室さんが本を数冊持って泊まり込んだあとに「出来たよ」と頂いた曲なんですが、僕の中では一番レコーディングに時間をかけたんじゃないかという記憶があります。

--この取材当日(「第7回 すみだストリートジャズフェスティバル」)はジャズピアニスト・高木里代子さんとのコラボステージを披露されましたが、高木さんはDJ KOOさんとのお仕事はいかがでしたか?

高木:
最初にスタジオにお邪魔した時に、かなりの機材があって衝撃を受けたのですが、その中でちょっと弾いていきなり「はい!」って言うんですよ。それでよく耳を傾けていくと、理にかなった音の積み重ねであったり、作り込み方がジャズだけの世界にはないものであったりしたので、衝撃を受けましたね。
私は日頃作曲する時はピアノからが多いのですが、またジャズとは異なる作り方が新鮮でした。
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--DJ KOOさんから見た高木さん像はいかがでしたでしょうか?

KOO:
まず弾きっぷりが素晴らしいです。どの鍵盤を触っているか分からない位の指の早さで、まずそこが他の人と違うなと思いました。またレコーディングすると波形がすごいんですよ。アタックがつくところがピッタリ。YU-KIの「歌をこういう感じでやってみよう」という感覚と同じで、とてもやりがいがありましたね。
また生まれてきた時には当たり前にダンスミュージックがあったり、様々な音楽を聴いて育ってきた世代ですから、スタートラインが自分の若い頃と違います。海外コンプレックスもないんですよね。僕らの世代だと「ロックだったらイギリスに勝てない」とか、「ヒップホップだったらアメリカ」とか、そういう風にどうしても思ってしまうのですが、そういう固定観念がないと思います。

--そのような感覚はどのようにして身につけていったのでしょうか?

高木:
ピアノを始めたのも実は「自分の好きな表現をやりたい」「自分の好きなものに好きな音を乗せたい」ということがきっかけだったんです。元々ジャズだけにこだわっておらず、クラブミュージックも好きで、そこにピアノを乗せていたんです。

■「周りからどう見られているか」を考えるヒマがなかった時期の経験が、核になっている

--このように若い世代のアーティストとも接することが多くなったと思いますが、DJ KOOさんの過去の経験から、今の若い人に伝えたいということはありますか?

KOO:
(90年代当時を)振り返ると「周りからどう見られているか」を考えるヒマがなかったです。お陰様で当時最速でのCD売り上げ1,000万枚到達などの記録も立てることが出来ましたが、それだけ毎日スタジオに通ってレコーディングしていたし、テレビの出方も最初分からなかったし、これはどうしたらいいかなどと疑問を持たずに、「これしかない」と思ってやっていました。でも、その時の経験が今も自分の核になっているなと感じますね。一心不乱にやっているときは、周りにどう見られているかすら考える余裕もないと思うので。

--そうして突っ走っていったのち、転機となった時期などはありましたか?

KOO:
1999年に子どもが生まれたことが大きいですね。それまではカッコつけているだけだったのが、自然体であることこそがカッコいいと思うようになったんです。それまでは、例えば紅白で大きい楽屋にいたりするじゃないですか。男女別なのでSAMと二人だったんですが、(出場回数が少なくても)数々のアーティストの方がいてもおどおどせず、堂々としていたんですよ。そういう時期を経て、自然体でいられるようになったのはここ最近ですね。
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--後輩アーティストも増えた中で、接し方も変わっていったのでしょうか?

KOO:
昔は先輩と一緒につるむことが多かったんですが、やっぱり我々の世代は先輩とどれだけ仲良くてもある程度距離を置かないと付き合えない世代だと思うんです。それが何十年も活動していると、後輩との距離はいい意味で遠過ぎる分、先輩との距離のとり方とは違う面白さがあると気づいたんです。話したことで「(若い世代は)こういうことを考えているんだ」と知るのがとても面白くて。例えば活動10周年のタイミングでアイドルの方に曲をカバーしてもらっても抵抗があったと思うんですが、今は楽しく感じられます。下の世代に目を向けることは積極的にやっていますね。

--バラエティ番組に積極的に出られているのも、その点からですか?

KOO:
バラエティは逆に全く土俵が違うので、むしろ新人です。音楽業界以外の方って付き合いがなかったんですが、芸人さんやアスリートの方と色んな話が出来たり相談出来たりするのは楽しいですね。この結びつきを活かして「KOOフェス」もやってみたいです。そのフェスのひな形のような企画はまずクラブでやってみてもいいですね。

--最後にDJとして、テクノロジーの進化についてはどのように感じますか?

KOO:
基本から離れていないかどうかだと思います。僕はクラブでやる時はCDやアナログを使います。ディスプレイを見るならお客さんに体を向けよう、ディスプレイを見る部分は自分のところで準備していけばいいじゃないか、と。また、例えば新しいもの・便利なものでも、音が悪くてもしょうがないので。DJとしての基本に照らし合わせて考えますね。

DJ KOOのキャリアは、「"心も人生も踊り出す"人生指南書」だという著書『EZ DO LIFE!』(小学館/定価1,300円 ※税別)でも楽しむことが出来る。詳しくはTRFオフィシャルサイトにて。

取材:市來孝人

SENSORS Web副編集長
PR会社勤務を経てフリーランスのWebエディター・PRプランナー・ナレーターなどとして活動中。「音楽×テクノロジー」の分野は特に関心あり。1985年生まれ。
Twitter:@takato_ichiki / Instagram:@takatoichiki

写真:松平伊織

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