宇野常寛が出版物に手間・時間をかける理由〜『魔法の世紀』誕生秘話

2016.01.12 19:00

政治からサブカルチャーまで幅広いジャンルをカバーしながら、各業界のトップランナーの声を伝え続けてきた雑誌『PLANETS』が2015年で10周年を迎えた。この節目の時期に、『PLANETS』を主宰し評論家としても名高い宇野常寛氏が編集を務めた落合陽一初の単著『魔法の世紀』が昨年11月30日に発売された。発売前に増刷が決定するなど大反響を呼んでいる『魔法の世紀』が誕生するキッカケとなった落合氏との出会いのエピソードから、編集者としての"宇野常寛像"に迫りたい。

■「なんだ、この若者は」落合陽一との出会いから、『魔法の世紀』が生まれるまで

二人の出会いは約3年前に遡る。当時、私的に行われていたある作家の勉強会に、生意気な、首からカメラをぶら下げた謎の若者がいた。「なんだコイツは」と興味を持った宇野氏は若者の話に耳を傾けると、一つ一つがシンプルな言葉ながらも本質を衝いていたのだとか。
すぐに意気投合した二人。宇野氏が二年前、メールマガジンを本格化させるタイミングで真っ先にインタビューしたいと名前が浮かんだのが落合氏だった。(この模様は『静かなる革命へのブループリント』という対談集に収められている)

宇野常寛氏:評論家として活動する傍ら、文化批評誌『PLANETS』を発行。主な著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、ほか多数。

後に発刊される『魔法の世紀』を貫く重要なモチーフ「映像の世紀から、魔法の世紀」がこの対談を通して浮かび上がってきた。落合氏がこれまでに発表した研究は超音波で物体を浮遊させたり(「Pixie Dust」2014)、触れられるプラズマを生成したり(「Fairy Lights in Femtoseconds」2015)見た目にも派手で目を引くものが多い。しかし、宇野氏がそこに見たのは思想的なパラダイムの転換だった。

宇野:
僕の世代で同じようなことを考えている研究者だったら、どう仮想現実(VR)を作り込めるかということ自体を考えるんですよね。ただ、落合陽一の研究は全く違っています。彼は「この現実」を変える方が決定的だと考えている。

落合氏のテクノロジー観は"デジタルネイチャー"という、自然と計算機がミックスされ分断不可能になった世界観だ。人類普遍と思われていた社会の規範や人間の価値観もテクノロジーによって揺さぶられ、超克されていくというものだ。

宇野:
本来3次元で起こっている僕らの体験を2次元、つまり平面に整理し共有することによって社会の大規模化と効率化を図ってきたのが20世紀まで何百年と続いてきたわけですよね。20世紀に普及した「映像」はその最終形態だったわけです。そしてそれがいまコンピュータ・テクノロジーによって乗り越えられようとしている。これはマスからソーシャルへ動員のロジックが変化したとか、ネットワーク時代のクリエイティビティの発現が変化した、といった従来のインターネット社会論よりもずっと大きくて、本質的な問題です。そういう広い思想的な射程の長さを、彼の考えからは強く感じたんです。この対談に手応えを感じて、彼に連載をやってもらうことにしました。タイトルはズバリ『魔法の世紀』でいこうと。

かくして『PLANETS』で始まった連載。書き進めていく中で落合氏は"文脈のアートから、原理のアートへ"というテクノロジーそのものとアートの結びつきが回復するという発想も獲得していった。単なる最先端テクノロジーの紹介ではなく、思想的なパラダイムしシフトが起こりつつあること、そしてテクノロジーとアートを同じ次元で扱おうという方向性を決めた裏には、宇野氏にとっても、既存の言論に対する反発があったという。

宇野:
端的に言えば、今の文化批評や言論はやるべきことを見失っているように思えます。実際、僕自身が魅力的に思える本がほとんどない。社会に対して魅力的なビジョンを提供することはできずに、旧世代の左翼の言葉を反復してお茶を濁す。あるいは党派的に、自分たちのサークルの正当性を固定読者に訴えるために他人やその仕事を矮小化して紹介することに血道を上げている。僕はそういうことに人生の残り時間を使う気持ちになれなかった、というのがあります。ただ、批判だけしていてもつまらないので、自分で自分の読みたい本をつくることにしたわけです。

(写真:落合陽一氏と宇野氏)J-WAVE「THE HANGOUT」公開収録(明治大学生田キャンパス)にて、『魔法の世紀』と共に。提供:PLANETS

■大反響の『魔法の世紀』〜独自の取り組みの裏に出版業界への"行為の抗議"

今回発売された『魔法の世紀』、そして『PLANETS』は取次を通さない直販で流通を行ってきた。この背景には、大手を含めて出版社が機能不全に陥っているのではという疑問があるという。どれほど良心的な編集者がいても、十二分に能力を発揮できる環境ではなくなりつつあるというのだ。一冊にかけられるお金と時間は限られ、ノルマも厳しい。そのため、現場の人間がどれほど心を砕いても納得のいく仕事ができなくなりつつある。そこで宇野氏は流通面も含め、一冊に手間と時間をかけられるようにマネタイズの仕方を変えることにした。その分価格は高くなるが、それだけの価値があるという自負があるという。

宇野:
ジャンクな本をイージーに量産していく出版業界に対しての、僕の"行為による抗議"のような意味合いもあるんですよ。 Twitterで偉そうなことを言って、文句を垂れて、リツイートを稼ぐことは簡単です。それでスッキリする人もいるかもしれない。だけど僕は非建設的だし、かっこ悪いと思う。だから「宇野はこうしたけど、あなたはどうしますか?」っていうメッセージとして、僕は28歳の若い作家のデビュー作の本に2,300円という比較的高い値段をつけ、直販で売ることにしたのです。

反響は予想以上だった。発売前に増刷がかかるのは『PLANETS』の歴史10年間でも1度あったのみ。『PLANETS』としても書籍の発売は初の試みで、冒険だった。発売当初は書店への配本が間に合わない場面もあったのだとか。現在では広い意味での読書家、それも新しいタイプの読書家にも本が浸透してきているのを実感しているのだという。

宇野:
本に書いてあることが、今の自分と世の中の関わりあい方に対してリアリティがあると感じて頂いていることが、受け入れられている理由ではないでしょうか。僕は潜在的にこういった抽象的な議論を求めている人は、既存の読書家の外側にいると感じていて、彼らが日々の仕事や生活の中で感じている変化と、落合陽一が示した遠大な未来図は確実につながっていると実感できる。そこが新しさとして受け入れられたのだと思います。

■出版界への失望、職業人としての苦悩〜それでも自ら発信する意味

先述したように出版業界が機能不全に陥り、本作りがイージーになってきたと感じるのは2011年の震災の前後、特に2013年以降のことだという。一冊一冊を大切にしてくれないような出版社の態度に対して、「もう無理だ」と堪え難さを感じた瞬間があった。それが自ら単行本を手がけようというキッカケになったのだとか。
現代社会の情報の供給量が増える中ではそうした潮流も致し方がない部分もあるが、本それ自体が持つ価値は減退していない。宇野氏が本の武器に挙げるのはその"遅さ"と"残存性"だ。

宇野:
震災前後は職業人として悩んだ2, 3年でした。僕はやっぱり身軽でいたい人間だったので、事務所を大きくすることにもそれほど興味がなかったし、もともと会社員だったので単行本の版元になることがすごく負担で、何を意味するかもよく分かっているんです。だからあんまり組織を大きくしてどうこう、というのはやりたくはなかった。お金のことなんて、本来は1秒も考えたくない人間なのでね(笑)。けれども、今回の落合陽一のように同年代・もしくは若い世代の作家や実業家など、色んなプレイヤーたちが僕の考えていることや手がけていることを自らの刺激にしてくれている実感がすごく嬉しかったので、その刺激になれるように(出版事業を)やっていこうという気持ちになったというのが、今も出版に関わっている理由ですね。この本はたぶんうちでしか出せない、という確信があったので。

後編「宇野常寛 様々なメディアでの発信を行う理由と「在宅/現場」の概念」ではテレビ・ラジオ・Webあらゆるメディアを越境しながら活動する宇野氏がそれぞれのメディアに期待する役割、新しく立ち上げを構想しているメディアの計画について話を聞いた。

取材・文:長谷川リョー

SENSORS Senior Editor
1990年生まれ。フリーライター。これまで『週刊プレイボーイ』『GQ JAPAN』WEBなどで執筆。「BOSCA」編集長。東京大学大学院学際情報学府在籍。最近は「人工知能」にアンテナを張っています。将来の夢は馬主になることです。
Twitter:@_ryh

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