小山宙哉、平田広明、佐渡島庸平が「宇宙兄弟」を語った満月の夜、コンテンツビジネスの未来が光る

2015.08.07 09:30

「漫画の主人公に会いたい!」そんなファンの気持ちは、永遠に叶わないものであるはず。でも確かに、主人公に会えたかもしれない。そこに存在したかもしれない。そんな夢のような出来事が起こったのは、3年に一度のブルームーンの夜のことだった。

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※この記事は『宇宙兄弟』26巻のネタバレを含みます。

 

人気漫画『宇宙兄弟』のTwitterアカウントで、ある日こんなツイートが流れた。

「講談社を辞めて、会社を立ち上げます!」

 

誤爆ではなく、確信犯。このツイートは、宇宙兄弟の担当編集者である佐渡島庸平氏によるもの。「ドラゴン桜」や「宇宙兄弟」を中心に週刊モーニングの編集を10年間勤めていた、ヒットメーカーだ。

そのツイートはたちまち数万人の目に届き、佐渡島庸平という編集者と、彼の立ち上げたベンチャー企業「株式会社コルク」は大きな注目を集めた。IT業界出身者によるスタートアップが乱立する中で、生粋の漫画編集者による起業はまるで異色。しかも形態はいわゆる出版社ではなく、漫画家のエージェント業だ。

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そんな設立から、まもなく3年。

佐渡島氏は、これまでの「漫画編集者」の在り方、さらには「漫画」のビジネスモデルの形を変革させようと、闘い続けてきた。

そして彼が10年来編集を担当してきたお茶目な鬼才、小山宙哉。彼の作品「宇宙兄弟」は現在、押しも押されもせぬ名作になっている。

 
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宇宙兄弟1巻 ©小山宙哉 / 講談社

■2次元の作品が3次元で共有される「ムッタの月面着陸祝福イベント」

「宇宙兄弟」は連載8年目。宇宙を夢見る主人公・ムッタはその間ずーーーっと、試験、訓練、葛藤、嫉妬、感動、失敗、成功を繰り返しながら、地球上を歩き続けていた。(伊東せりかへの中学生のような恋心も、8年間一切進展していない)そうこうしているうちに、一部ファンから「主人公が宇宙に行かない宇宙漫画」とまで言われる始末。そんなムッタが、26巻で、ついに、悲願の「月面着陸」を成し遂げたのである!

そこで佐渡島氏が開催したのが「ムッタの月面着陸祝福イベント」だ。書店でのサイン会のような形式ではなく、ライブハウスで2時間に渡るプログラムが組まれた大掛かりなもの。メルマガに登録しているファンクラブ会員先行で告知された瞬間、150名の定員枠はたちまち完売した。

 

2015年7月31日、見事なブルームーンの夜だった。

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青山にあるライブハウス「月見ル君想フ」は、舞台奥に大きな満月が輝く、月面着陸を祝うに相応しい会場だった。

 

そんな会場でファンを迎えたのは、ムッタの等身大パネル。

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まるでそこにムッタが存在するかのように、お祝いのケーキまで準備されていた。

 

男性向け週刊誌「モーニング」の連載漫画とは思えないほど、会場には女性客の姿が多い。そして宇宙兄弟オリジナルTシャツの着用率の高いこと。まるでバンドTシャツを着てライブに参戦するかのようなテンションだ。

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中には、与圧服のコスプレで参加するファンの姿も。驚くべきことにオレンジ色のNASA版与圧服風の衣装を着た女性はこう告白してくれた。

「ムッタたちのロケットが無事発射できるか心配で心配で、25巻を持って発射台があるケネディ宇宙センターまで行って、そこで腰を据えて読むことが出来ました!」

すごすぎる。驚異の行動力である。

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イベントが始まり、最初に登場したのは編集者の佐渡島氏。ファンの間からは「サディ」という愛称で親しまれているほど、漫画編集者としては異例の認知度だ。見ての通り、ブルースーツのコスプレで登場。

「主役のムッタがいないのに、どのようにイベントを進めるんだろう?」そんな私の疑問はすぐに吹き飛んだ。

原作者の小山宙哉氏、そしてアニメ版宇宙兄弟でムッタを演じていた平田広明氏が登場した瞬間、150人の観客からは溢れんばかりの拍手喝采。まるでアイドルが登場したかのように、黄色い歓声すら上がっていた。

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小山氏は喋りが上手い。京都なまりの関西弁でペラペラと制作秘話を明かしていく。

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「ムッタの顔、イケメンにはしたくなかったんですね。埼玉のすかいらーくで見かけたお兄さんの横顔がいい感じやったんで、使わせてもらいました」「イケメンっぽくないちょっと抜けてる名前を考えてて、ムッタがええな、って」「擬音とかちょっと凝ったりするんです。ハサミの音といえばだいたい"チョキチョキ"ですけど、"シザッシザッ"にしたんです。これはスタッフにもウケが良かった」「北村家の兄弟の名前、気付いてました?アレ、長女から順番にしりとりです」「平田さんはジャックスパロウの声も演ってるんで、このシーン、アニメになったら面白いことになりそうやな、と思って描いてみました。(下図参照)」

 

その話ぶりから彼のお茶目なクレバーさがひしひしと伝わり、まるでムッタ本人がそこにいるようだった。

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そしてもう一人の主人公が、アニメ『宇宙兄弟』にてムッタを演じた声優、平田氏。超一流の声優さんが、宇宙兄弟の名シーンをその場で熱演してくれる。どのシーンも捨て難いが、やはり今宵は月面着陸イベント。ムッタが月に降り立った時の台詞を、一番最後に朗読した。

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アニメや映画しか観ていない方にネタバレしてしまうと、『宇宙兄弟』の弟・日々人と兄・ムッタはもう長らく顔を合わせていない。兄のライバル、そして目標でもあり続けた弟は冷遇を受けたNASAを去り、現在ロシアで訓練中...のはずだが、生きているのかさえ分からなくなるほど、その存在は描かれていない。

そんな中、兄・ムッタは月面に到着し、「兄弟で月に行く」という日々人との約束を、時間差ではあるが果たすことが出来た。

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宇宙兄弟26巻 ©小山宙哉 / 講談社

「弟に会えた気分です」

 

「お兄ちゃん」が月に行った。会場にいる多くのファンが涙を流した。だってこの瞬間を、もう8年間も待っていたから。そして私も泣いてしまった。取材だというのに。隣を見れば、コルクのスタッフも泣いていた。きっと会場の9割が泣いた。声優の平田氏だけは泣かなかった。プロである。

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そんな興奮に包まれる中、柔らかな歌声が会場に響く。アニメ宇宙兄弟のエンディングテーマ『New World』を歌うカサリンチュの2人が、シークレットゲストとして奄美大島から駆けつけたのだ。

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ファンにとって、これ以上素敵なサプライズはあるだろうか? 目の前にムッタがいて、カサリンチュが歌を唄い、隣もその隣もその隣も宇宙兄弟が大好きな仲間である。おまけに、月が美しい。

 

イベントの最後には、小山氏・平田氏・カサリンチュのサイン付きTシャツがプレゼントされるシーンもあったが、その抽選方法は「ジャンケン」。これが「最も公平な方法」だと、宇宙兄弟を読んだ人であればわかるだろう。

 

最後に小山氏はこう語った。

「今回トークイベントをするって聞いて、僕、漫画家なんですけど...!と思ったんですよ。でもやってみると、めちゃくちゃ楽しいイベントになった。平田さんがいなければ成立しなかったし、カサリンチュの生演奏には本当に感動しました。そして、コルクのみなさんも。いやぁ、楽しかったですね。必ずまたやりたい。ありがとうございました!」

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暖かい拍手でいっぱいだった。こんなに胸がいっぱいになるイベント、なかなかないです、もう本当に。

 

■150人という少人数のファンイベント。そこに漫画業界の希望があった

イベント終了後、きっとみんなが大きなブルームーンを見つめながら帰路に着いたであろう。Twitterでハッシュタグ #koyatube と #宇宙兄弟 をチェックしてみると、ファンからの温かいメッセージで溢れていた。

 

ただ策士・佐渡島氏の痛恨のミスが1点。「次は、もっと広い会場にしてください!」という声の多いこと多いこと。

 

モーニングは1冊340円。単行本は617円。対してこのイベントの入場料は5,400円と、決して安くはない価格だった。けれども、蓋を開けてみると「待ってました!」と言わんばかりに応募殺到。会場では、Tシャツをはじめとした物販も大盛況。イベントが終わった後も、ここで出会ったファン同士が宇宙の話で大いに盛り上がっていた。

この日集まったのは、『宇宙兄弟』の読者全体からすると、1%にも満たないであろう150人。でもこのイベントは、作者にとっても、ファンにとっても、そして漫画業界にとっても、実に意義深いイベントだったにちがいない。

 

− インターネット時代、編集者の仕事は大きく変わるだろう。「単行本」を売ることではなく、「コミュニティ」を作り上げること。2次元の作品を、3次元に拡張すること。そしてファンと共に、オープンな形で作品を創り上げていくこと。そんな「編集力」が求められていく。

 

佐渡島氏、そして「漫画系ベンチャー企業」であるコルクの若き社員たちは、これまでの編集者の仕事に囚われない。彼らはイベンターにもなるし、物販のスタッフにもなるし、現場設営もポジティブに取り掛かる。肩書きは編集者であっても、手段なんて選ばない。

でも、きっと譲らないものもある。クリエイターにとっても、ファンにとっても、幸せな形を創ること。コンテンツビジネスの将来を、明るいものにすること。そのためには、たとえ遠回りをしてでも、面倒くさくても、愚直に取り組むだろう。コルクの社長は策士である以上に、作品のファンでもあるからだ。

   

「宇宙兄弟」という名作を支える、コルクの物語。私はその裏話もいつか、ストーリー漫画として世に出して欲しいと思った。きっとそれは、波乱万丈なサクセスストーリーに違いない。

 

関連リンク:

小山宙哉公式サイト
小山宙哉Twitter
小山宙哉Facebookページ

 
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文:塩谷舞(しおたん)

 

1988年大阪生まれ、京都市立芸大卒。PRプランナー/Web編集者。(株)CINRAにてWebディレクターとして大手クライアントのコーポレートサイトやメディアサイトなどを担当。その後、広報を経てフリーランスへ。お菓子のスタートアップBAKEのオウンドメディア「THE BAKE MAGAZINE」の編集長を務めたり、アートに特化したハッカソン「Art Hack Day」の広報を担当したり、幅広く活躍中。

ciotan blog:http://ciotan.com/
Twitter:@ciotan
 
撮影:Ayumi Yagi

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